2010年10月18日月曜日

ムンバイ出張 その4 MANI BHAVAN

8月30日月曜日

 帰国前に、どうしても行きたいところがあります。MANI BHAVAN です。



 ここは、マハトマ ガンディ とインド国民が、自由を勝ち取るためにユニークな戦いをした、その記念館です。この小さな家は1917年から1934年までボンベイ(=ムンバイ)におけるガンディ運動の本部として使われてきました。

 1919年4月6日に、ガンディが初めて自由を勝ち取るために大衆論争を繰り広げ、英国支配の基礎を揺さぶったのもこの地からでした。





 2階には、ガンディが使用していた部屋が昔のままに保存されています。ガンディが初めて糸紡ぎのやり方を覚えたのもこの部屋だそうです。



 右に見えるテラスで、朝のお祈りをしていたそうです。





私たち後世に生きる者も決してガンディの祈りを忘れず、自由と幸福に満ちた社会を築き、そしてそれを維持すべきであると肝に銘じました。





 表に出ると、聖牛が出迎えてくれました。
これから患者さんに会ってから、飛行場に向かいます。



 いつでも、どこでも、人類が争うことなく平和で、公平で、地球にやさしく、お互いを尊重し、助け合う、真の豊かさの追求を目指す、全人類の課題です。決してあきらめないで・・・碧い地球を見ながら、そう思いました。



 富士山が見えてきました。もうすぐ着陸態勢に入ります。さあ、現実の世界が待っています。頑張ろっ!

ムンバイ出張③

8月29日日曜日 雨のムンバイ

 今日はムンバイに滞在です。帰国のフライトは明日の夕方です。昨日、手術を行ったので不慮の事態に備えての滞在です。幸いにも経過良好で、今日はゆっくりできそうです。

 雨季のため、今日も朝から雨が降っています。

 今回の宿泊はThe Taj Mahal Palace & Towerでした。招待してくれた先生方にだいぶ負担をかけてしまいました(5つ星です)。せっかくの御好意なのでありがたく楽しませて頂きました。外は雨なのでまずはホテル見学ツアーをしましょうか。

               正面から見上げた旧館です。雨の合間に撮影しました

 このホテルは、インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者であるジャムセットジ・タタ氏によって約100年前に作られました。

 100年前のある日、ジャムセットジ・タタ氏が、当時ムンバイで最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとしたとき、白人専用であることを理由に断られたのが開業のきっかけだそうです。タタ氏は、もっと豪華なホテルを、インド人の手で築いたのです。

 彼の威信をかけて建築されたホテルは、インド人建築家により西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式を混合した姿で設計されました。確かに建物は趣がありますし、何といっても荘厳です。

                  旧館の中庭に面した廊下です。

 旧館には、レジデンスがあって、超お金持ち専用のスペースになっています。皮肉にも白人しか見当たりません。レジデンス棟の中庭に面した廊下は、表の喧騒(まさに漢字の如し)が嘘のような世界が広がっています。

 オッと、レジデンス住人オンリーと看板が出ていました。道理で誰もいないはずですね。守衛さんが来ないうちに退散しましょうね。

 でも世の中には、こんな生活を毎日送っている人もいるんですね、驚きです。街の喧騒とはあまりにも世界が違いすぎます(テロの標的になったのもわかる気がします)。

      レジデンス棟の螺旋階段の踊り場です。日曜日の早朝なのでまだ誰もいません。

                    玄関に神様?の置物がありました。

  いつ頃、誰が、何のために作ったのでしょうか?何かの祭殿に飾られてあった女神なんですかね。解説は特に書いてありませんでしたが、大事に保管されています。


 さて、雨も少し止んだので、ホテルを出て街の喧騒の中に飛び込みましょうか。

                    まずは、ホテルの真ん前インド門です。


 大英帝国の支配下にあった1911年に、英国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られた海に向いた門です。 写真ではわかりにくいですがこの門の先は波止場になっています。大英帝国支配時代、この門を向こうからくぐって上陸していたようです。

   ホテルの部屋から見たインド門です。波止場に面しているのがおわかりいただけると思います。横に並んでいるカラフルな小舟は、エレファント島(洞窟に石像がある世界遺産)に行く連絡船です。写真を撮ったのは早朝なのでまだ人影はまばらです。

                  さらに街に出てみましょう。ホテルの裏側です。

歩道が狭く、人やら犬やらが入り乱れています。露店があったり焚火をしたり混沌としています。そこで車道を歩いています。

 これは、大学です。大英帝国時代のものでしょうか。重厚な建物です。ただし日曜日かもしれませんが誰もいません。

 こんなキャンパスで勉強したいですよね。ここに代表されるようにムンバイは内陸のデリーと比べて緑があり、埃っぽさが全くなく街の色彩も豊かです。


大きな交差点です。ひっきりなしに車が来ます、多くの交差点はロータリー式になっているので歩行者は渡りにくい(信号がない)です。バスも車も、すごい黒煙を排出しながら往来しています。インドの環境を整えることは、とてつもない人口を抱えていることを考慮すると急務と思いました。


 また雨が降ってきました。このような軒先や街路樹の陰で、雨をしのぎながらホテルに戻りました。ビッチョになってしまいましたので熱いシャワーを浴びて、さっぱりしたところで紅茶を飲みながら読書三昧の午後を過ごしました。

ムンバイ出張②

8月28日土曜日

 ムンバイと東京の時差は-3時間30分です。8月(6月から9月)は、モンスーンの時期なので、毎日雨が降っています。こちらも異常気象の影響で、降雨量がとても多いそうです。今日も朝は雨、日本の梅雨のようなシトシトという感じではありません。それこそザーと降った後はご覧のように晴天です。でもこの雨のおかげでムンバイには豊富な水がもたらされているのです。


 写真は本日、でもストレーションを行った"Jaslok Hospital"です。ムンバイの中心街にあります。血管造影室は17階にありました。

 現地の放射線科の先生が助手を引き受けてくださり、放射線科や消化器内科の先生に囲まれながらなんとか無事に動注カテーテル埋設術を施行してきました。道具は使い慣れたものを日本から持ち込みましたが、やはりawayでの手術は難しいです。しかもみんなに注目されてですから。

 かなり疲れましたが良い経験をさせていただきました。このあと病院の傍にある競馬場内(といっても日本のそれとは違いクラブハウスのような)にあるGallopsというお店で遅めのランチを頂きました。

 みなさん非常に親切でに歓迎してくれました。食事中の会話で夏休みの長さ(時節柄)や日常の生活が話題となり、僕たちと少し裕福なインド人との文化の差、生活の差を感じました。

 ホテルで一休みしたら、ディナーです。アクロバット英会話で乗り切れるかなぁ。

ムンバイへ出張①

8月27日金曜日  

 インド・ムンバイにて肝動注カテーテル埋設術のデモストレーションのため出張しました。3泊4日の行程です。今日のフライトはNH943です。使用機材はB737-700ERで座席数は40人前後の小さいながら最新鋭の飛行機です。正午頃に成田をたち現地時刻の19時頃にムンバイ着です。

 いつものように第1ターミナル出発ゲート内にあるすし屋さん京辰(今日発つ(ハハハ))で、一人、壮行会をしました。日本酒と寿司を食べて元気をつけて、しばし日本とお別れです。

 好天に恵まれ、成田を発つと台湾あたりまで日本列島に沿って南下します。日本列島の島々と青い海と空そして白い雲が連なり見事な景色でした。多忙な日常を忘れさせてくれるには充分です。

下に見える湖は、浜名湖です。


 飛行機は一路ムンバイに向け、西に旋回して内陸に入ります。これからは映画の時間です。

 今回は、沖縄の美しい海を守る男の話、養殖珊瑚の移植と産卵に始めて成功した金城浩二さんをモデルにした映画「てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡」を鑑賞しました。

 金城さんは、沖縄のサンゴが白化現象に見舞われ、死滅しつつあることを知り、「家族にきれいな海を見せたい」という一念で、世界で初めて養殖サンゴの移植に挑戦しました。

 珊瑚は刺胞動物門花虫綱に属する動物(サンゴ虫)の一種です。サンゴと共生する藻が海水温上昇などで減少すると、白化現象が起こります。サンゴは、この藻の光合成に頼ってエネルギーを補給しているため、藻が減ってエネルギーが不足するとサンゴは白化し、やがて死滅していまうのです。


 金城さんは、養殖珊瑚の移植のみならず、その産卵に成功しました。移植した珊瑚が産卵すれば、さらに珊瑚が増殖する可能性があるのです。美しい海を取り戻す道筋を立てたのです。

 そこにたどり着くには幾多の困難があったそうですが彼は言います、「自分一人でがむしゃらにやってきたつもりが、多くの人に支えられていたんだなと気づかされた」と。

 自分自身に言い聞かせたい珠玉の言葉です。

 沖縄の青い海と心温まる家族愛と環境問題への提言の物語、お奨めです。 
僕も協賛して一株移植していただく手続きを後日とりました。
僕に出来るささやかな環境保護です。いつか沖縄の海にもぐりたいな。

 さて、ムンバイにまもなく到着です。

諏訪中央病院を見学して

8月17日 火曜日

 夏休み最後の1日、書類整理をしてから半日の鉄道旅行を企画しました。

 コースをどうするか?時刻表を見ながら検討します。その瞬間、旅は始まります。子供の頃、実際には行けないのですが、飽きもせず時刻表上でバーチャルトリップをしたことを想い出します。

 今晩、山梨でmeetingがあるため、半日tripの最終目的地は甲府です。時間的に最近イヤと言うほど乗っている中央本線しか行けません。子供の頃、あれほど乗りたかったのに…ただの移動手段になってしまうとダメですね、通勤電車みたいなもので…そこで、せめて甲府の先を目指しました。

 新宿駅12:00発のスーパーあずさ号で出発です。E351系は振り子式車両で、カーブでは内側に傾くことによって高速で走行できます。25/1000の登り勾配をグングン駆け上ります。目的地は長野県茅野駅にしました。

 甲陽病院(9月13日参照)のこともあり、今井澄先生鎌田實先生が築いた諏訪中央病院の見学が目的です。

 陽が燦々と降りそそいでいましたが、そこは灼熱地獄の東京とは違います。高原の緑が輝き、青く澄んだ空に心地よい風がありました。


 茅野駅は、高原リゾートに行く人やお盆を実家で過ごし帰京する家族、その子供や孫を見送る老夫婦でごったがえしていました。


 諏訪中央病院は茅野駅からみて東側の山裾にあります。市街を抜け、橋を渡り山裾のスポーツ公園の先に病院はありました。病院は地元の方々で活気に満ちていました。

 僕が研修医時代にお世話になった旭中央病院 との共通点ですが、古い建物で決して華美ではないのですが、きちんとメンテナンスされています。例え建物が古くても綺麗に整理整頓され、清潔で、そして何よりも行われている医療がしっかりしていれば病院は機能するものです。


 ここには、地方というハンディをものともしない立派な病院がありました。病院の内部には、人々から寄贈された絵画や彫刻が場を和ませていました。




 また院内のあちらこちらに鎌田實先生のメッセージが掲示されていました。病院理念の浸透に役立てられているようです。また壁にはスタッフの紹介、部署の紹介などが各所でみられました。






 病院は人で支えられているという現実を目の当たりにしてきました。またアニマルセラピー等もボランティアで企画されているようです。そのレポートも壁新聞の如く紹介されていました。自主性を重んじ、その中に職員としてのプロフェッショナルを追求する姿とやりがいを育てる姿を垣間見ることが出来ました。わずか一時間位の滞在でしたが収穫は“大”でした。


これはボランティアによるアニマルセラピーです(下段のみ病院ホームページから拝借)

病院の屋上から諏訪湖方面を眺める



 茅野駅に戻るとちょうど臨時列車が待っていてくれました。八ヶ岳の北麓から南麓へ移動し、僕も実家によって少々の親孝行をしてきました。その後、甲府に戻り小俣先生宅で開催された勉強会に山梨県立中央病院の先生方とともに参加しました。とても充実した夏休みを過ごせました。

2010年9月17日金曜日

休暇

8月14日土曜日から16日月曜日

 皆さん、いかがお過ごしですか? ブログのタイトルを肝臓内科トピックスから晴耕雨読にシフトして、いろいろな内容を発信していきたいと思います。よかったらお付き合いください。


 今年は偏西風の蛇行で、猛暑となっていますよね。同じ蛇行でも、カムチャッカ半島より東側に高気圧が居座れば日本は猛暑、西側に居座れば冷夏(2003年)となるそうです。

 さて、日本人特有のわずかな休暇を利用して、北海道に行ってきました。暑中お見舞い代わりに涼しげな写真のお土産です。


やっぱり北海道は涼しいです。林の中の遊歩道を久しぶりにジョギングしました。(東京では暑すぎて、ジョギングは休んでいました。)木漏れ日のなか、久しぶりに爽快な汗を流しました。ジョギングは座禅の瞑想と同じです。心が洗われる感じがします。


 この日は、曇っていましたが、豊かな自然の懐に飛び込み、綺麗な酸素をいっぱい吸って運動し、鈍りきった体をチャージします。




 ジョギング後、散策しているとアゲハ蝶を見かけました。そーっと近づき、被写体となってもらいました。綺麗でしょ。やっぱり図鑑や標本ではなく、自然界の姿が、生き生きとしていて魅力がありますね。生物は、ホント、良くできてますし不思議です。夏休みだし、自由研究してみたいですね。

 午後のひと時はテラスで読書。冷房ではなく、林を抜けるそよ風です。その後、炉端焼きで北の幸を頂きました。子供の友人家族も一緒で、親子ともども楽しい宴となりました。  短くも至福な一時を過ごさせて頂きました。休暇中、病棟を支えてくれた皆様に感謝します。

2010年9月13日月曜日

甲陽病院と飯富病院

8月11日水曜日

  毎週水曜日は、山梨の日です。

 今日は久しぶりに車で向かいました。基本的に運転は嫌いですし、渋滞はもっと嫌いです。自由を奪われる感じがして....しかし今回はミッションがあるため、朝5時に車で東京を出発しました。

 さすがこの時間はスイスイです。

 窓を全開にしていると風が走り抜け最高に気持ち良いです。どこからともなくユーミンの中央フリーウェイが聞こえてきました。競馬場を超え、左手にビール工場が見えてきました。確かに滑走路のようです。

 ちょっと違うのは、黄昏時ではなく、眩しい位の朝日に包まれていることと、助手席には仕事用のカバンが座っていること。でも朝の爽やかな風は心をフリーにしてくれます。これから山梨に旅立つ滑走路です。



 渋滞もなく朝7時に山梨県立中央病院に着きました。モーニング・カンファレンスで勉強させて頂いた後、井上内科小児科医院(叔父)で診療。

 お昼過ぎから本日のミッション①北杜市立甲陽病院に行きました。

 北杜市は山梨県の北西部に位置します。八ヶ岳南麓に広がる日照時間日本一の田園地帯です。僕の実家がある長坂町も平成の大合併で北杜市の一部となりました。

 甲陽病院は、その旧長坂町にあります。甲陽病院は昔、長坂町外2カ町1カ村の組合立でした。以前祖父が町長をしていたので当時組合長として甲陽病院の発展に尽力しました。

 その病院が現在悲鳴をあげています。この地も例外ではなく内科医が不在となってしまったそうです。そこで隔週ですが水曜日の午後にお手伝いさせていただくことになりました。



 主に病棟で入院中の患者さんを診させていただきました。

 入院の患者さんは、超高齢の方が多く、自分では動くことが不自由であったり、食事を飲み込む能力が落ちて胃ろう(お腹から胃に直接差し込んだチューブ)から栄養を入れている患者さんが結構いました。

 若者は僕も含めて町を出てしまい高齢者だけの世帯がほとんどです。

 たとえばお爺ちゃんが脳溢血で倒れ体が不自由となった場合お婆ちゃんだけでは当然看きれません。しかし若い人たちは仕事があり地元に戻って生活するができません。老夫婦は住み慣れた町を出たくありません。結局、施設入所待ちの患者さんが病院に溢れているのが現実です。

 そして医者不足。院長先生を含め4人の常勤医で当直を回しているそうです。僕にも(町を出ているので)責任の一端はあるのですが、社会の歪みを目の当たりにしたわけです。 

 入院中の患者さんは、まさに「思いどおりに飛べない心と動かぬ手足、抱きしめて燃え残る夢たち」さだまさしの療養所(サナトリウム)(歌を聴きたい方はこちらをクリック)の歌詞の一節です。僕が高校性の頃、内科医を目指したきっかけの歌でもあります。

 もう一度原点に返って、医師として自分に何が出来るか?考えさせられました。微力ですが出来ることから一つ一つ積み重ねていきたいと思いました。

 本日は、もう一つミッションがあります。ミッション②飯富病院でのミーティングです。

 早川町は南アルプスの懐にある山間の町です。美しい渓谷と良質の温泉があります。この付近はC型肝炎の患者さんが多いところでもあります。

 山間の町で高齢者が病院に通うのも一苦労です。人口が千人ちょっとですから、むしろ医者が出向いて診させていただいた方が効率が良いと思ったので、そういう形で何かお手伝い出来ないか模索していました。

 たまたま研究会後の懇親会で、山梨大学附属病院の進藤邦明先生と知り合いとなり、今回のミーティングが実現したわけです。

 参加者は、早川町の保健婦さん(お二人)と進藤先生(以前飯富病院に勤務され今も非常勤)と僕です。

 早川町は恵まれていて、二人の保健婦さんが、しっかりと住民を守っていてくれていました。感染している住民には医療機関受診を勧め、しかもきちんと通っているかサポートしてくれています。また町内で勉強会もやられているそうです。

 例え田舎でもきちんとしたシステムを作れば、人口が少ない分、しっかりと健康が守られる良い例と思いました。

 お盆の直前の忙しい中、お付き合いいただいた保健婦さん達、誠にありがとうございました。

すっかり日が暮れて、飯富病院前の定食屋さんで、進藤先生とノンアルコールビールで乾杯しました。とんかつ定食を食べ満腹です。進藤先生、大変お世話になりました。さあ、これから東京までのドライブが残っています。居眠り運転にならないようにね。