8月11日水曜日
毎週水曜日は、山梨の日です。
今日は久しぶりに車で向かいました。基本的に運転は嫌いですし、渋滞はもっと嫌いです。自由を奪われる感じがして....しかし今回はミッションがあるため、朝5時に車で東京を出発しました。
さすがこの時間はスイスイです。
窓を全開にしていると風が走り抜け最高に気持ち良いです。どこからともなくユーミンの中央フリーウェイが聞こえてきました。競馬場を超え、左手にビール工場が見えてきました。確かに滑走路のようです。
ちょっと違うのは、黄昏時ではなく、眩しい位の朝日に包まれていることと、助手席には仕事用のカバンが座っていること。でも朝の爽やかな風は心をフリーにしてくれます。これから山梨に旅立つ滑走路です。
渋滞もなく朝7時に山梨県立中央病院に着きました。モーニング・カンファレンスで勉強させて頂いた後、井上内科小児科医院(叔父)で診療。
お昼過ぎから本日のミッション①北杜市立甲陽病院に行きました。
北杜市は山梨県の北西部に位置します。八ヶ岳南麓に広がる日照時間日本一の田園地帯です。僕の実家がある長坂町も平成の大合併で北杜市の一部となりました。
甲陽病院は、その旧長坂町にあります。甲陽病院は昔、長坂町外2カ町1カ村の組合立でした。以前祖父が町長をしていたので当時組合長として甲陽病院の発展に尽力しました。
その病院が現在悲鳴をあげています。この地も例外ではなく内科医が不在となってしまったそうです。そこで隔週ですが水曜日の午後にお手伝いさせていただくことになりました。
主に病棟で入院中の患者さんを診させていただきました。
入院の患者さんは、超高齢の方が多く、自分では動くことが不自由であったり、食事を飲み込む能力が落ちて胃ろう(お腹から胃に直接差し込んだチューブ)から栄養を入れている患者さんが結構いました。
若者は僕も含めて町を出てしまい高齢者だけの世帯がほとんどです。
たとえばお爺ちゃんが脳溢血で倒れ体が不自由となった場合お婆ちゃんだけでは当然看きれません。しかし若い人たちは仕事があり地元に戻って生活するができません。老夫婦は住み慣れた町を出たくありません。結局、施設入所待ちの患者さんが病院に溢れているのが現実です。
そして医者不足。院長先生を含め4人の常勤医で当直を回しているそうです。僕にも(町を出ているので)責任の一端はあるのですが、社会の歪みを目の当たりにしたわけです。
入院中の患者さんは、まさに「思いどおりに飛べない心と動かぬ手足、抱きしめて燃え残る夢たち」さだまさしの療養所(サナトリウム)(歌を聴きたい方はこちらをクリック)の歌詞の一節です。僕が高校性の頃、内科医を目指したきっかけの歌でもあります。
もう一度原点に返って、医師として自分に何が出来るか?考えさせられました。微力ですが出来ることから一つ一つ積み重ねていきたいと思いました。
本日は、もう一つミッションがあります。ミッション②飯富病院でのミーティングです。
早川町は南アルプスの懐にある山間の町です。美しい渓谷と良質の温泉があります。この付近はC型肝炎の患者さんが多いところでもあります。
山間の町で高齢者が病院に通うのも一苦労です。人口が千人ちょっとですから、むしろ医者が出向いて診させていただいた方が効率が良いと思ったので、そういう形で何かお手伝い出来ないか模索していました。
たまたま研究会後の懇親会で、山梨大学附属病院の進藤邦明先生と知り合いとなり、今回のミーティングが実現したわけです。
参加者は、早川町の保健婦さん(お二人)と進藤先生(以前飯富病院に勤務され今も非常勤)と僕です。
早川町は恵まれていて、二人の保健婦さんが、しっかりと住民を守っていてくれていました。感染している住民には医療機関受診を勧め、しかもきちんと通っているかサポートしてくれています。また町内で勉強会もやられているそうです。
例え田舎でもきちんとしたシステムを作れば、人口が少ない分、しっかりと健康が守られる良い例と思いました。
お盆の直前の忙しい中、お付き合いいただいた保健婦さん達、誠にありがとうございました。
すっかり日が暮れて、飯富病院前の定食屋さんで、進藤先生とノンアルコールビールで乾杯しました。とんかつ定食を食べ満腹です。進藤先生、大変お世話になりました。さあ、これから東京までのドライブが残っています。居眠り運転にならないようにね。