4月27日水曜日
毎週水曜日は、山梨県立中央病院で行われる消化器カンファレンス(7:45~)に参加します。
中野始発4:25の各駅を乗り継ぎ甲府駅には6:45に到着します。病院までは徒歩20分ぐらいです。
暖かな春になり、爽やかな朝を迎えました。
写真は甲府駅前”平和通り”の新緑です。朝日に新緑が輝いています。
県立病院にも新しい仲間が増え、山梨医大の学生さんも学外実習で参加し、まさに朝日に輝く新緑に包まれた雰囲気になっています。カンファレンスには、消化器内科・外科・緩和医療科・放射線科の先生方に看護師さん医療事務の方々や治験コーディネーターそして医学部学生達が参加して、病院の諸問題や患者さんの診断治療や退院後ケアについて多角的に議論します。情報を共有して、職域を越え問題解決に向けアイデアを出し合う、全ては患者さんを”きれいに、早く治す”ために。
今朝は病院の当直体制についても議論がありました。当直といえば、僕が研修医終了直後からの2年間研鑽させて頂き、大変お世話になった旭中央病院を懐かしく想い出しました。
旭中央病院は、房総半島の東海岸に近く、銚子の少し手前に位置します。旭市は人口7万人の海沿いの町で主産業は農業や漁業の町です。そこに諸橋芳夫先生が1952年12月院長に就任以来、「すべては患者のために」という哲学で、同病院を956床の大病院に育てました。
僕がいた平成5年頃は、諸橋イズムが完成の域に入っていた頃でした。房総半島の東側はもちろん鹿島からも患者さんが集まり、病院を中心に街(高齢者向けの洋品店やスーパー)が形成され病院城下町という感じでした。
”全ては患者のために”ですから、救命救急センターも断りません。それこそ1次から3次(軽症から重症)まで365日24時間ひっきりなしに患者さんが来てました。当直は全科当直!全ての科を診なければなりません。救急に来た患者さんは全て診るというスタンスでした。一応内科系、外科系、そして研修医の3人で当直していましたが、内科系の先生が縫合をしたり、外科系の先生が小児の風邪を診たり臨機応変にお互いに助け合い、次から次へ来院する患者さんをさばいていました。また各科の待機医が決まっていて黒板に記入されています。当直医は(研修医でも)気軽に電話をして相談したり指示をもらえるシステムになっていました。ですから当直医は安心して診療できましたし、その経験が今の僕らの礎になっていることは確かです。
諸橋先生の「医師である以上何科専攻でも救急処置(トリアージ、初期治療)を身に着けないとダメだ」という教えから必然的に「お互いが協力し支えあう(教えあう)」というスタイルが定着したのだと思います。このシステムを受け入れてくれた房総半島の住民と先輩医師に、旭の若い医師(僕も含めて)は育てられました。
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