2012年9月19日水曜日

ILCA2012 旅行記

皆様のお蔭で”ILCA2012”の発表も無事に終了しました。

 関係各位の皆様、本当にありがとうございました。細やかではありますが、土産話ということで。


 今回は、河井先生, 隆久先生, 私の3人で参加しました。

 Asian Pacific Association for the Study of the Liver の single topic conference でモンゴルから帰国した新平先生と交代して出かけました。新平先生の報告は後日ね・・・

 事前準備を怠ったので、何と三者三様の旅立ちです。
河井先生は、羽田から北京、フランクフルト経由でベルリンへ 本人いわく安かったからと。
隆久先生は、成田からフランクフルト経由でベルリンへ これ王道。
僕は、もたもたしてて、フランクフルト経由が取れずミュンヘン経由でベルリンへ。



 とりあえず隆久先生と成田空港の京辰(今日立つ)で、旅の安全を祈願して乾杯!
この後、別々にベルリンを目指しました。

 日本とベルリンは、7時間の時差があります。日本を出て約16時間、ベルリンのホテルに到着しました。「無事に着いたね、まずは良かった」と隆久先生と乾杯。1日目の夜は更けていきました。
河井先生は僕らより2時間遅れて到着。なんと丸24時間かかったそうです。



 さあ、何種類のビールが出てくるでしょう?とにかくビールが安くて美味しいことは。間違いなしです。早くもビールっ腹になっちゃうよぉ・・・・

 翌日、POTSDAMまで足を延ばし観光してきました。日頃の行いが良いためか?快晴に恵まれました。ただし、もう秋。気温は15度前後で少し肌寒いぐらいでした。

 まず訪れたのが、Schloss Sanssouci サンスーシー宮殿です。フリードリッヒ大王の夏の別荘として1750年頃に建てられたそうです。




 ブドウ畑が段々になった丘の上に建つロココ調の黄色い宮殿です。丘の下から見上げると、ちょうどブドウ畑の緑の上に、あたかも黄色い花のように設計されています。



 宮殿に似合うかどうかは別として、晴天に恵まれた社員旅行をEnjoyしている男三人組です。



 次は、ツェツィーリエンホーフ宮殿です。1945年7月下旬に、ポツダム会議の会場となった場所です。比較的新しく1917年ホーエンツオレルン家の宮殿として建てられました。湖に面した庭に、英国風の山荘という雰囲気の宮殿です。


 

 米、英、ソビエトの三首脳が議論した大会議場の重厚さは、歴史の重みを私たちに伝えてくれます。

 悲しいかな、日本が一億総玉砕と騒いでいる頃、勝ち組による一部の勝ち組(中国等は入っていない)のための分捕り外交が行われていたんですね。もちろん夜はパーティーでの社交も毎晩のようにあったそうです。




 もっと早く、終戦の決断をしていれば、もっと被害は抑えられたはずです。そもそも身の丈を考え、侵略戦争を行わなければ、子孫を困惑させずに済んだのです。

 中庭にはソビエト(東ドイツ)統治の名残で Red Star が花壇で表現されています。戦争の悲惨さを敗戦国民として、十分に体験できました。

 さて、気を取り直して前に進みましょう。ベルリン市内に戻ってきました。お腹もすいたのでランチにしましょう。



 典型的なドイツ料理屋さんに入りました。まずは「Ein Prosit ! さあ、乾杯」
ベルリン名物のアイスバイン(豚肉の煮込み料理)と肉団子を頂きました。とにかく安くて美味しい!

 さあ、お腹も満たされたし、少し歩いてホテルに帰ろう!

戦勝記念塔が見えてきました。さすが大陸だね、争いが絶えないね。デンマーク戦争、オーストリア戦争、フランス戦争の戦勝を祝って1873年に建てられたそうです。


 塔の上には勝利の女神ビクトリアが祀られています。


女神ビクトリアに見とれる東洋人二人。車に気を付けてね。あんまり車道に出ると轢かれちゃうよ!


ビクトリアは片思いで終わりました。ベルリン市内はもうすっかり秋のたたずまいです。ホテルに向かって男三人そぞろ歩きしました。



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