2012年11月26日月曜日

モンゴル出張 その2

モンゴル出張 2日目

 11月1日 盛りだくさんの1日の始まりです。
朝一番で国立第三病院に向かいました。もう真冬並みの寒さです。朝晩は氷点下になっています。


 病院から見た外の景色です。寒さと乾燥で草木は枯れています。雑草でもいかに草木が大切か思い知らされました。


 これは4人部屋の入口です。この広い空間にベッドが四隅におかれています。医療施設は昭和40年代ってところでしょうか?。病院の大部屋は広すぎても駄目ですね・・寂しいさや冷たさが前面に出てしまいますね。病室の患者さんが不安げに私たちを見ていました・・・


 第3病院の外来超音波検査室です。エコー専門の先生が自分の診察室を持っています。外には多くの患者さんが診察を待っていてごった返しています。佐藤新平先生が検査のアドバイスをしているところです。


  これは、集中治療室の入口です。同じ建物なのに内装が全く異なります。ここだけ近代化されています。なぜ?答えは日本のODA (Official Development Assistance) の資金で建てられたセクションだからです。見にくいけど、自動ドアの左上にJAPANとODAのロゴがあります。


 これが血管造影室。血管造影装置は、オーストラリアのロータリークラブが寄贈したようです。比較的新しい装置でした。朝から晩までフル稼働です。僕らの前は、心臓カテーテル検査と下肢血管造影検査が行われていました。


 さあ、僕らの出番です。術者は佐藤新平先生、モンゴルの先生に助手に入ってもらい治療を開始しました。約1時間で無事に治療成功です。患者さんも痛くなかったと喜んでいました。


 血管造影室にて、スタッフと記念撮影です。「ハイ、チーズ!パシャ」 みんな明るくてよく働くスタッフです。お陰様で無事にミッションを完了することができました。「ありがとう!」

 遅い昼食の後、病院前の診療所にて、腹部超音波検査を駆使した外来診療を行いました。モンゴルでは、肝臓がんが癌の中で最も頻度が高いそうです。次々に患者さんがやってきます。そして、驚くことに次々と肝がんが見つかります。


 写真は、超音波検査を行う佐藤新平先生です。モンゴルの先生たちが、まさに身を乗り出すようにして見学しています。


 写真、左端はJazag先生のお母様です。そして机の上に置いてあるのは、ラジオ波焼灼療法で使う装置です。「肝がん見つけたら、すぐに治療してあげて」って言っているようですね。


 夕方、モンゴル民族音楽を鑑賞することになりました。会場に向かう途中、スターリンのヘッドマークを付けたジーゼル機関車がモニュメントとして保存されていました。旧ソ連と結びつきが強かった時代を今に伝えています。廃車となっても、その意味では、走り続けていますね・・・


 患者さんのご家族の計らいで、モンゴル民族舞踊を鑑賞しました。使っている楽器の起源は中国ですが、モンゴルの文化で育つうちに独特のスタイルで発展していったと思います。中国のそれとは、またちょっと違う音色でした。舞踊は、どちらかというと勇ましい雰囲気の出し物が多かったと思います。


 歌は、遊牧民独特の喉を震わせて発音する、そう、あの音色です。裏声とはまた違う、モンゴルの草原に響き渡るような音色で、完全に僕らを異文化にいざなってくれました。


 帰り際に、舞妓さんとパチリ。記念撮影をさせて頂きました。
この後、現地の方々とお食事会、こう見ると皆、同じ顔でしょ。モンゴル人と日本人はルーツが同じなので良く似ています。



長い一日もやっと終わりを迎えます。続きはまたね。

2012年11月24日土曜日

モンゴル出張 その1

10月31日水曜日から11月3日土曜日まで3泊4日でモンゴルに出張してきました。

10年前、モンゴル出身のJazag先生が、若くして東京大学消化器内科に留学してきました。その時、公私にわたりJazag先生のサポートをしていたのが佐藤新平先生です。


Jazag先生は、東京大学留学の後、ハーバード大学に留学されました。その後祖国に戻り、若くしてモンゴル肝臓学会会長となり、本年9月にはAPASL (Asian Pacific Association for the Study of the Liver) のSingle Topic Conferenceを主催されました。



 Jazag先生と親交のある佐藤新平先生が、この学会に参加し、学術発表のほか、市民公開講座での講演や病院で実際に患者さんを診療して来ました。

 今回は、そのご縁で患者さんを治療することになり、佐藤新平先生と私でモンゴルに旅立つことになったわけです。

 10月31日 成田から、韓国 (仁川) 経由で、ウランバートルに向かいました。韓国まで約3時間、その先約4時間の予定です。出張中の指示出しを午前3時頃から始めて、やっと片付けて、空港に着きました。いつものように直前は大忙しです。空港でcheck-inしたら自由です。ゆっくりシャワーを浴びて、搭乗口の傍にあったバーで朝ビール。ちょっとくつろぎ過ぎちゃった!搭乗時間が午前9時だと思い込んでいたら、実際はなんと8時30分でした。45分に搭乗口に着いた時にはがらんとしていて、アレ?っと思ったら、すでにFinal Call。危うく乗り遅れるところでした・・


 成田を出発して約9時間後、ウランバートルのジンギス・ハーン国際空港に降り立ちました。空港内はごった返しています。なかなか荷物が出てこなくて、ちょっぴり心配しましたが、何とか無事にゲットできました。荷物の中にカテーテルなど仕事道具を忍び込ませてあったため、まずは何とか第一関門通過ってとこでしょうか。
 陽が沈むとあたりは真っ暗です。9月の学会時、今村潤先生(現、都立駒込病院 肝臓内科)は、路線バスで市内に向かったそうです。道は凸凹だし、言葉は全く通じないし、読めないし、潤ちゃんはやはりただ者ではありません。

 夜、遅くなりましたが国立第3病院に到着しました。この写真は翌朝に撮影したものです。綺麗なところだけ切り取って撮影(不動産屋さんの広告のごとく)してありますが、実際は周囲は荒地、道路から荒地を挟んで病院があります。国民の階級によって受診できる病院が分かれているらしく、ここはもちろん大衆病院です。
 明日治療する患者さんを診察して、ホテルに向かいました。続きはまたね。

2012年11月21日水曜日

理想と現実

こんにちは!

 八ヶ岳南麓の 北杜市立甲陽病院 があります。以前にもお話したかもしれませんが、私の実家がある町の公立病院です。常勤内科医の先生が退職されたので、毎週火曜日に内科外来をお手伝いさせて頂いています。ここに来ると四季の移ろいを感じることが出来ます。

 北杜市 は山梨の北西部に位置します。四方が山に囲まれていて、北に八ヶ岳、東に茅ヶ岳、南に富士山、西に甲斐駒ヶ岳があります。病院の屋上からこれらの山並みを見るのが楽しみになっています。

 昨日は見事な快晴でした。ちょっと北風が強いためか、空気も澄んでいました。写真は病院の屋上からみた八ヶ岳です。


 高齢化社会に位置する甲陽病院の外来は、いろいろな教訓を教えてくれます。元気で長生きの秘訣は、血圧・高脂血症・糖尿病をきちんとコントロールするとともに、適度な運動(この辺りでは軽い農作業)が大事です。これらを満たしている方々は本当にお元気です。

 逆に、病棟では寝たきりになった患者さんが多く入院しています。その大部分が脳梗塞で麻痺になったことがきっかけです。これらの患者さんのカルテを調べると、高血圧や高脂血症、糖尿病などがコントロール不良であったことがわかります。

 日頃のマネージメントが、とても大切であることが再認識されます。これらの病気についても、順次、取り上げていきますので、一緒に勉強していきましょうね。


 さて、衆議院が解散し選挙になりますね。

 政治家は理想を現実に落とし込ませなければいけないので大変だと思います。まあ、医者もそうですが・・ただ僕らの場合、直接的に困っている人を助けられるのがいいところかな・・・それで政治の道は途絶えた(実家は代々田舎の政治家)んだけどね。

 理想を言わせてもらうと

①戦争は絶対にダメ。②処理不可能な核燃料ごみをこれ以上作ってはいけない。この2点です。

 あとの焦点は、僕に言わせるとどうにでもなります。経済や領土問題ですから・・命があれば経済は何とかなります。領土については、そもそも地球は生物共有の財産のはず、話し合いましょ!って感じです。無人島の取り合いで喧嘩(戦争)するのは馬鹿です。棚上げにしておいて野鳥の楽園にしておけばいいんです。

 戦争に行って、実際に戦ったことがありますか?

 僕はつい最近戦って来ました。もちろん夢の中ですが・・・

-最前線で戦う夢です、鉄砲や弓やヤリではなく、刀で戦っているんです。相手を切り倒さないと自分が殺されてしまいます。なぜか、そのようなシチュエーションでした。いつもは救う方なのに殺す方に回るのですから辛いですよ。そしたら目の前に父と子の兵士(もちろん敵)がいました。二人ともアフリカ人で痩せこけてフラフラの状態です。特に子供の兵士は、見た目、栄養失調で立つのも困難かという感じで僕の背後に腰かけていました。父の兵士は、僕に「お願いだから、子供だけは助けてくれ」と懇願しました。振り返ると、子供の兵士は弱っていて、ほっといても死にそうです。父の兵士を、子供の前で切るのも躊躇われました。困って立ち尽くしていたその時です。背後の子供兵士に背中を刺され、僕は死んでしまいました。-

 そこで目が覚めたんです。何でこんな夢をみたのか?カウンセリングでも受けた方が良いんじゃない?と思うような出来事ですが、それは置いといて・・・

 結局、戦争は ヤルカ、ヤラレルカ です。人類として最も愚かな行為です。人道も倫理も何も存在しないんです。私たちの先祖は、嫌というほど経験したはずです。人間には英知があるはずです。戦争を回避するために、その英知を使うべきなのです。相手の挑発に乗って喧嘩をすることが愛国心ではありません。本当の戦争の悲惨さを世界に訴え戦争を阻止するのが我々の使命です。

 もう一つ、”処理不可能なゴミ” をこれ以上作ってはいけないんです。原発のこと、不勉強であったので、全く知りませんでした。

 現在、使用済み核燃料は青森の六ヶ所村と各原子力発電所の冷却プールで保存されています。使用済み核燃料のリサイクルはうまくいかず、最終処分方法も決まってないないため、現在のように、発電所がごみを抱える状態が続いているんです。ですから、原子力発電所を止めているから安全では全くないんです。今もせっせと冷やしているんです(当然莫大な電気を使って)。最終処分は、300m以深の地層処分となっています。しかも核のゴミが安全になるまで1万年以上必要です。最古のピラミッドさえまだ3千年ですよ。どんな建築家がどんな建物を地下に建設するか?誰の町に作るのか?決まってないのに、目先の利益で子孫にこれ以上迷惑をかけられません。

 電気なんて極端な話、この150年です。それまでなくても人類は生きてきたんです。でも放射能が万が一暴れれば・・・解りますよね?言わなくても。だから何が何でもダメなんです。

 
 じゃあ、政治家になればいいんじゃない?って聞こえてきそうですが、まだまだ一人の医師としてやることがいっぱいです。老後、田舎で自給自足の生活をしながら世界平和研究所でも創設しようかと思っています。

 その時もこの綺麗な自然が残っていればいいな。(夕暮れの南アルプスを眺めながら)