2010年8月18日水曜日
太らない食べ方
講演会の続き
今回は、山梨帝京医会で、一緒に講演させていただいた池田眞人先生を紹介します。池田先生は、社会保険山梨病院の内分泌科(体のホルモンにかかわる病気)の名物先生です。どういう点が名物かというと、糖尿病の患者さん達の間では、食事指導や生活指導が厳しい(患者さんのことを思えば当たり前だと思うんですが)ことで有名なんです。
「いつの間にか引き込まれちゃうのよね、池田先生に。」と患者さんが言っていました。ですから前からお会いしたいと思っていました。今回たまたま講演でご一緒させていただき願いが叶ったわけです。
先生は“糖尿病2010”というタイトルで講演されました。糖尿病の診断基準の改定や新たにDPP-4阻害剤という薬が登場したことによる治療戦略について教えていただきました。ただHbA1cを下げるのではなく血糖の日内変動をいかに抑えるか、しかも安いお薬で。先生の臨床医としての努力が垣間見ることのできる内容でした。
講演会後の懇親会で席が隣でした。池田先生はスリムです。どのようにして体型を維持されているのか、食事を注意(ダイエット)されているのか、運動をなさっているのか、お聞きしました。そしたら「好きな物をお腹いっぱい食べています」という予想もしないお返事。えぇ?と思って二の句が告げられないでいると「食べ方が違うんですよ」と仰いました。
「ほらっ先生(私)のその食べ方、食べ物に少し歯型を付けて飲み込んでいますよね。それオットセイ食いっていうんですよ。それじゃ、食べ物の本当の味は解らない。例えば、お米の味は解らないでしょ?その食べ方だと満腹感が得られないからいくらでも食べちゃうんですよ」と。
やられたっ!しかも例えが上手い。お米はデンプン、唾液中のアミラーゼが分解して糖になり甘みが出るはず。確かにあまり噛まずに流し込んでいたので切り返せない。しかも“食べ物の本当の味を知らない”と言われちゃったもんね、45歳にもなってから。
どんどん池田先生のペースにはまっていきます。これかあ、患者さんが蟻地獄にはまっていくと言っていたのは。「ど、どうすれば良いのでしょうか?是非教えてください」と、もう池田先生の思う壺です。
「まず、食べ物は30回噛んで無くなるように食べてください」
「はいっ」
「あー、ダメダメ先生、そんなに口の中に入れちゃ。30回噛んでも無くならない。口の中に残っちゃうでしょ」 「モグモグ」
「いいですか、一回に口の中に入れて良いのは、小指の先の量ですよ。それを30回噛んで食べるんです。」
「えーっ、これだけですか?」
「はい、それだけです。これ以上だと30回で噛み下せません。」
「いただきます」
「どうです?30回で無くなりましたか?お米の味が変わりましたか?」
「はい、本当ですね」
「この食べ方で食べると少量の食事でも十分満足、満腹になるんです。皆食べすぎなんですよ、本当は。」
この日は、和洋折衷のコース料理でした。僕たちは30回噛んで、料理を味わって食べているのでどんどんお料理が並んでいきます。他の先生たちのお皿はどんどん空いていくのに(医者はいつ呼ばれるか解らないので基本的に早食いです)。
「いいですか、例えばこのステーキ美味しそうですよね、ステーキまでたどり着きたいから、途中でお腹がいっぱいにならないように残すんです。」
確かに。この食べ方で食べると料理を十分味わうことが出来るし、何ていってもお腹がいっぱいになっちゃいます。いつもなら、次のお皿が来るのを待つペースで完食(全部食べるという業界用語)していたのがウソみたいです。コース途中で、お腹がいっぱいになってきました。残った料理は、もったいないですが仕方ありません。
「食べ方でこんなに違うんですね、驚きました」
「はい、解って頂けて良かったです」と池田先生ニッコリ。
翌日、日曜日に家族でお蕎麦屋さんに行きました。いつも大もり(もりそばの大)を頼むので、今回も何も考えず大もりを頼みました。いつもは大もりでもあっという間に無くなってしまい少し物足りないのですが、今回は違います。何たって池田式を実践したからです。ソバもパンも同様すべてに当てはまる食べ方であることは、昨日確認済みです。
「いいですか、30回噛んで無くなる量ですよ」池田先生の声が聞こえてきます。
ソバの麺は1回に3-4本です。いつもの十分の一ですね。そば粉の味まで味わうように食べました。すると半分も食べると満腹です。なるほど、食べ方でこうも違うのかと再認識しました。唯一の問題は、食事に時間がかかるようになったことです。ゆっくり、食事に時間をかけられない気忙しい生活が、一番の問題かも。
皆さんも試してみてくださいね。
山梨帝京医会で講演
山梨帝京医会で講演させて頂きました。この会は、帝京大学出身で山梨県在住の先生方が同窓会を兼ねて、勉強会を開催している会です。
今回、会長の溝部医院 溝部政史先生に母校同窓会で講演する機会を与えて頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。
この会では、内科の先生だけでなく、外科、小児科、眼科、リハビリ科など、ご参加いただいた先生方の専門分野は多彩ですので、皆さんの役に立つ内容にしようと留意しました。
前半は、他科の先生にも知っていていただきたいC型肝炎からの肝発癌についてお話させていただきました。山梨県は九州に次いでC型肝炎の感染率が高い地域ですから、お役にたてたのではないかと思っています。
後半は、帝京大学バーチャルツアーです。教養課程のあった八王子校舎の今と、新病院が完成し生まれ変わった帝京大学病院を、スライドで紹介させていただきました。もちろん昔遊んだ十条界隈の街並みも含めて。
もう還暦を過ぎた先生方もいらっしゃったので、特に後半は好評でした。喜んでもらえて良かったです。
当日は、市川大門の花火大会(山梨で最も大きい花火大会)でしたので、花火に負けないプレゼンを心がけました。
新明の花火(市川三郷町のホームページより)
2010年8月1日日曜日
第3回新肝臓病研究会
皆さん、こんにちは。暑中お見舞い申し上げます。
暑い日が続いていますね。やっぱり、冷夏よりも猛暑のほうが夏らしくていいと思うんですよね。季節ははっきりしているほうが僕は好きです。
一日建物の中で仕事をしていますから、たまに外に出るとその日の天候を楽しむようにしています。ジリジリした暑さ、冷房で閉ざされた毛穴が全開してくるのが感じられ気持ち良いです(でも、もうおじさんですから他人には迷惑か・・)。
御茶ノ水橋の袂、神田川の斜面が小さな雑木林になっていて蝉の大合唱を聞くことが出来ます。ずっと我慢して地上に出てきたセミ達は、わずか一週間しかない残りの生命の中で求愛します。あの鳴き声は雄が雌に自分がここにいますよというメッセージなんです。だからセミも必死に鳴いているんですね。
御茶ノ水橋から見た神田川
いろいろあって更新できなかった分は、徐々に書いていきますね。
7月30日金曜日は、国立がん研究センター中央病院にて、多施設共同の臨床試験について会議がありました。その内容は改めて記事にしますが、分子標的薬を既存の治療法に上乗せして治療効果が更に良くなるか検討する試験です。その後、山梨に向かいました。
山梨県立中央病院のホールにて第3回新肝臓病研究会が開催されました。
前半は、TAE Failureとは?という共通演題で、山梨大学医学部付属病院第一内科の浅川幸子先生、山梨県立中央病院消化器内科の望月仁先生そして私の3人が発表して議論しました。後半は。東京大学椎名秀一朗先生の特別講演という構成でした。
TAE Failure って何?って思いますよね。これは肝動脈塞栓術が効かなくなったと判断した(不応と訳されています)ということです。何をもってTAEが効かなくなったと判断するのか?を議論したわけです。効かなくなったと判断された患者さんは、肝機能が許せば、分子標的薬(ネクサバール)に切り替えます。そのタイミングを模索しているのです。
TAEが効かなくなるのには、大きく二つの原因が考えられます。一つ目は、次々に再発することです。これにはTAEという治療法の問題もあるとは思いますが、母地、つまり肝炎による線維化の方が問題かも知れません。炎症や線維化を改善させなければ再発は防げません。
もう一つは、癌が残存してしまう場合です。これにはTAEに関わる問題と癌自身に原因があります。治療関連としては、癌を養う血管が肝動脈以外から来ている場合と血管が枯れている場合です。TAEはよく兵糧攻めに例えられます。”癌を養う血管が肝動脈以外から来ている場合”というのは、一生懸命兵糧攻めしていても、お城に地下道があって、兵隊を養うのに充分な米や弾薬がドンドン補充されているのと同じです。この地下道を潰さない限り勝ち目はありません。”血管が枯れている”は、兵糧攻めのなれの果て、お互い消耗しているのにわずかな食料でしぶとく生き残っていて落城しない状態です。癌自身の問題としては乏血性腫瘍であったり(兵隊は超小食で兵糧攻めは効かない)、分化度が低く悪性度が高い腫瘍(兵隊がどう猛で兵糧攻めしても暴れている場合)で、TAEでは太刀打ちできないものが考えられます。
どのタイミングで次の治療に託すのか?託された次の治療は、きちんと効いてくれるのか?
もう少し検討が必要だと思います。
このディスカッションは、県立中央病院の中の多目的ホールで行われました。週末のお忙しい中、専門の先生方はもとより、他科の先生方、さらに看護師さんや薬剤師さんなどパラメディカルの方々も多数出席頂きました。大変有意義なひと時を過ごさせて頂きました。この場を借りて感謝申し上げます。
会終了後、近くの居酒屋さんで二次会を行いました。自治医大出身の進藤先生がその時に言っていた言葉です。「例え秋山村に住んでいようが、患者さんは最高の医療が受けられる、その為に僕達は研鑽を積んでいるんです。」と。山梨の医療は、変わります。この若者達が支えてくれます。そして今回の勉強会に参加してくれた医師やパラメディカルの皆さんが力を合わせて支えてくれます。
感激していたら時計が24時を超えました。僕の45回目の誕生日は、この居酒屋さんで迎えました。
最後になりましたが、発表の機会を与えてくれました小俣政男先生、誠にありがとうございました。