2014年2月24日月曜日

歩きながら考えたこと

みなさん こんにちは。
いかがお過ごしですか?

 オリンピックも終わったので、遅ればせながら大雪のニュース特集やっていますね。行政の対応が遅いとか、こんなに降るなんて想定外とか、被害の救済をどうするかとか。



 先日歩きながら、思ったのですが・・・

今回の自然災害も、僕らに考える機会を与えてくれたんだと思います。

僕らはどのように生きていけばいいのか?

どのように暮らせばいいのか?

たかが数日の交通マヒでこんなにも脆くていいのか?


 結局、自分達で考え無ければ本当の答えは出ないでしょう。利便性と合理性の追及の中で、大事なことを見失っていないか?競争社会の渦に巻き込まれ、利己主義に陥っていないか?

人は決して一人では生きていけません。今までも、お互いに助け合い、幾多の自然災害を、しなやかに乗り越えてきたんだと思います。

自ら考え、行動しないと始まらないと思います。解決するのは自分自身だと思います。だから、

ケネディー元大統領の演説ではないけれど、Ask not what your country can do for you, Ask what you can do for your country.なんですね。

今日、病院のそばで見つけました。
河津桜です。春はそこまで来ています!

2014年2月23日日曜日

さあ、はじめようか。

みなさん こんにちは。
いかがお過ごしですか?

今日は東京マラソンが開催されましたね。

新大橋通り水天宮交差点付近を走る
市民ランナー達 頑張れ!
左車線は浅草に向かう人たち
右車線は既に浅草で折り返し有明に向かう人たち

 東京マラソンは、市民参加型大規模シティマラソンとして、2007年から開催されています。

そもそもマラソンは、古代ギリシアの古事にちなんで始まりました。

赤の印がマラトンです

 約2500年前アテネ(現在のギリシャ)は、ペルシャ(現在のイラン)軍の大軍がマラトンに上陸するところを迎え撃ち(マラトンの戦い)、勝利をおさめました。この勝利の朗報をアテネに伝えるため、兵士がマラトンからアテネまで(約40km)駆け抜けました。この兵士はアテネ郊外で「我勝てり」と告げた後、力尽きて息を引き取ったそうです。

拡大図です。
アテネの右上(北東)に、マラトンは位置します。

 1896年(明治29年)アテネで開かれた第1回オリンピックにマラトンからアテネまでの競走が加えられたのが、マラソン競技の始まりだそうです。

 さて、有酸素運動が体に良いことは理解しているつもりですが、なかなか続きませんね。辛いことは誰でもいやですもんね。走ってみると、ジョギングの爽快感が味わえるんですが、走るまでがね・・・特にこの季節、寒いですし・・・

これは僕のrun keeper
ムラがありますね(笑)
特に夏冬がダメですね。

 先日行われた自身の健康診断、つい、うっかり忘れて、昼食をガッツリ食べてから採血したら、中性脂肪が正常上限をわずかに超えてしまいました。マズイ・・・そういえば最近走って(有酸素運動)いないしな・・・

 自分の体は一つだけです。取り替え不可能(一般的に)です。不摂生で壊してしまっては、モッタイナイです。食べて、呑んで、寝るだけでは、体は錆びつく一方です。

 固くなった体をほぐして、軽いジョギングを再開しようっと。体の隅々まで、血液をグルグル循環させて、たまった老廃物を掻き出して、若さを取り戻そう!

 みなさんも、一緒にいかがですか?

 まずは出来るところから。始めることが大事ですね。

 体を甦らせて、来年はランナーとして参加しようと思います。やっぱり、目標がないと続かないもんね。2015年2月の第4日曜日は、当直入れないでねっ。

2014年2月16日日曜日

記録的大雪! 

みなさん こんにちは。
いかがお過ごしですか?

先週末の大雪、特に山梨のみなさん、お見舞い申し上げます。

自然災害は、神(広い意味での)が私たちに与えてくれた試練ですが、考える好機でもあります。

どのように備えて暮らしていけばいいのか?

利便性に溺れきった自分を見直す好機となりました。




先日の土曜日は、地元の甲陽病院外来日でした。内科の常勤医は居ません。そのためお手伝いに伺っています(代役はいません)。

実家両親も心配ですので、大雪予報にもめげず山梨行きを決行しました。
スーパーあずさの車中で、高校の同級生と偶然再会し、車内は雪見酒で居酒屋状態です。つもる話しに花が咲きました。気が付くと3時間以上遅れて甲府駅に着きましたが、あっという間でした。


友人と甲府駅で別れ、雪で発車待ちの間、
冷気を浴びて酔い醒ましです。
(大雪の中、甲府駅でしばし休憩するあずさ号
これが乗り納めになるとは・・・)

 甲府駅でしばらく運転を見合わせていましたが、暫くして出発しました。友人と別れ車窓を見ると凄い勢いで雪が降っています。


外はすごい吹雪です。車窓が凍りついています。

何とか、小淵沢駅に到着しました。幸いにもタクシーが動いていたので、実家まで帰れました。
こんな寒い日は、熱燗と甲州名物 ほうとう です。


うちの ほうとう です。
各家庭でレシピが異なります。

 静寂に包まれた夜は更けていきました。この間にも雪が降り続いています。


庭の外灯に浮かび上がる
ホワイトモンスターたち

2月15日土曜日

 だんだん明るくなるにつれて、雪の猛威が現実のものとして見えてきました。


江戸時代の家が良く踏ん張っています。


甲府は114cmとのことですが、
明らかにそれより高く積もっています。

朝4時に起きて、生活路を確保(雪掻き)しました.。今回帰省の一つ目の目的クリアです。それにしても雪を捨てる場所がありません。僕の身長ほどの雪壁に積んでいきます。ヘタなジムに行くよりもいい運動になります。


実感しにくいでしょうが、雪壁と雪壁の間が通路です。
もっと拡張したいのですが、雪捨て場がありません。



自宅横にあるポストを掘り出し
投函できるようにしました。
回収してくれるかは別ですが・・・

 さあ、実家の雪かきも終了です。次のミッション、甲陽病院です。交通手段は徒歩しかありません。片道5km 雪中行軍です。


まだ雪は降っています。道なき道を進みます。
東山魁夷の絵みたいな風景です。


現代版 笠地蔵ならぬ販売機。
雪の高さが実感できますね。


病院に着きました・・・が、雪で埋もれています。


そこに救急車到着。病院に横付けできません。そのまま救急車内で診療。患者さんは、若い男性です。雪で立ち往生した車の中で、寝ていたら気分が悪くなったとのこと。積もった雪で、排気管が埋もれ、車内に排気ガスが充満した一酸化炭素中毒です。もう少し発見が遅かったら亡くなってしまったかもしれません。

雪でストレッチャーは使えないので、救急隊と担架で搬送しました。無事に入院させることができました。患者さんも落ち着いたので、病院の雪かきです。地元の消防団も手伝ってくれています。


地元の消防団(ボランティア)
旧長坂町の法被が健在です。


病院の前に埋もれているのが、
患者さん送迎用バスです。

今日は患者さんが来たくても来られません。来週のために病院正面玄関の雪かきを手伝いました。

 さあお昼になりました。東京に帰るべく、最寄駅である長坂駅に徒歩で向かいます。この時点でまだテレビを見ていなかったので、何の情報も知りませんでした。昨晩あずさが走っていたので、特急は無理にしても、普通列車はかろうじて動いているだろうと・・・

長坂駅はシャッターが下りていました。それでもホームに降りてみると・・・


ホームとホームの間に、食パンのように膨れ上がった雪!ホームより高いです。隣のホームまで跨線橋は不要、雪上を歩いて渡れる状態です。こりゃダメだ!!帰れない!!

諦めて実家まで、5kmの雪道を戻りました。実家に着いてニュースをみてビックリ仰天です。甲府が、山梨が凄いことになっている。まさに陸の孤島です。交通網は全て寸断、国道20号(甲州街道)を含め、幹線道路に車が立ち往生してマヒ状態です。電車も東は高尾まで、西は塩尻まで、小海線は向う1週間は不通だと。絶望的です。あの雪です。一週間は動かないでしょう。


2月16日 日曜日

早朝4時に起きて、車庫から車道(県道)まで、何とか車が出るように雪かきをしておきました。JR東日本の列車運行情報をみると東は相変わらず高尾までですが、西は茅野まで開通しています。長野駅まで普通電車が動いていそうです。長野駅に出れば、新幹線で何とか帰れそうです。問題は、茅野駅までの交通手段です。国道すら通行止め、車(タクシーも含め)は不可能です。googleでで調べると、実家(山梨県北杜市長坂町)から茅野駅までは30kmほどです。


地図上はまっすぐ一本線。最短距離に見えます。

30kmならマラソン以下だし、時速4kmで歩き続ければ、7-8時間で到着するはずです。夕方までには着くでしょうと、見込みました。

防寒服に着替え、リュックに必要最低限の荷物を詰め込みます。途中何があるかわからないので、懐中電灯と2食分の握り飯、ペットボトルに、糖分補給用のチョコレート。準備万端です。あとは自分の足を信じるしかありません。

さあ、出発です。7時50分ぐらいに家を出発しました。携帯電話は非常手段なので無駄に電池を使えません。電源はoffにして歩きました。本当はもっと写真を撮りたかったんですが・・・


はるか遠くに富士山が見えます。
雪原に青空、小淵沢あたりの風景です。
まだ風景を眺める余裕があります。実家より5km位。


この辺は楽勝です。車も走れそうです。
国道20号方面への案内板が頼もしいです。



小淵沢から国道20号(甲州街道)に向かう通称 八ヶ岳高原ライン。中央高速の通行止めによって流れてきた車が、立ち往生したまま放置されています。既に大雪から丸1日経過していますが、未だに除雪作業は進まず、この先に大型トラックが何台も止まっていました。トラックの運転手さんは残っていましたが、どうやって生活しているんでしょう?あと数日はこのままだと思います。大型トラックと雪壁の間を何とかくぐりぬけます。やはり徒歩以外の交通手段はないです。


甲州街道に出ました。蔦木宿の本陣跡です。
いつの日か、旧甲州街道を歩いてみたいと思っていましたが、
まさか雪路を歩くとは・・・
実家から約10km経過



甲州街道は完全にマヒしています。
通行止めですから、全く動いていません。
車は東京方面、僕は長野方面に向かっています。
歩行者は通行可能です!

ここから釜無川沿いを、吹き抜ける北風に向かいながら、単独歩行です。しかもこの先は富士見峠。北風とだらだら続く上り坂が行く手を阻みます。歩き続ければ茅野駅に電車が待っている。東京に帰れる。その一心で歩きます。富士見峠を超え、しばらくすると中央本線が見えてきました。方向も間違いありません。歩き続けるだけです。


立ち往生したトラックや車を横目に
てくてく歩きます。
やっと茅野市に入りました。


はるか向こうではありますが、
視界がひらけ、諏訪盆地が見えてきました。
ゴールはもう少しです。


お疲れ様でした。やっとの思いで茅野駅到着。
何とかなるもんです。約30km 約7時間の道程でした。

14:40に到着しました。



非情にも、電車は14:31に発車してしまいました。次は16:08発の松本行きまでありません。ホームのベンチで日向ぼっこをすることにしました。やっと長靴から解放されます。踵とつま先が限界に近づいていましたから。足を伸ばして、リュックから握り飯を取り出ししばし休憩です。まだ何が起こるか予測不可能ですから、もう一食分は残しておきました。

折り返しの普通列車が入線してきました。電車は暖かい!比較的すいてたのでボックス席に座って足を伸ばします。電車は茅野駅を定刻の16:08に発車しました。心地よいモーター音を響かせながらグングン進みます。電車ってこんなに早かったけ?大雪の諏訪湖畔を駆け抜け、あっという間に16:57松本駅に到着です。ここで長野行きの普通列車に乗り換えです。17:34に松本駅を発車した長野行きは、途中一旦停止してバックし始めました。うわっ、こんな山の中で立ち往生か?と思ったら、スイッチバック駅です。そうでした、篠ノ井線には未だにスイッチバック駅が健在しているんです。無事18:49に長野駅に到着しました。後は最終の新幹線で座ってビール飲んで帰れば・・・と思ったのですが。


駅にあふれる人人人

なんだっ?どうやら除雪が追い付かず新幹線は運転見合わせ。つい先ほど運転再開したとのことで、スキーシーズンの日曜日夕方という最悪の時間も重なり、とんでもない混みようです。自由席しかありません。何とか切符を手に入れ人込みの中に。ビールはとても無理です。ここまで来て、今日帰れるかわからなくなってしまいました。情報は錯綜して駅員さんも混乱しています。列もあってないような状態になってきました。奇跡的に20::20の臨時あさま号に乗りこめました。これで東京にやっと帰れます。22:45頃上野駅にたどり着きました。東京には日常の夜がありました。タクシーも並んでいます(もちろんタクシーが)。自宅には23:00に着きました。

僕は通常業務に戻れましたが、山梨はとんでもないことになっています。ニュースは冬季オリンピックばっかりですが、今回の情報不足は身に染みました。富士見町や茅野市では携帯電話にエリアメールが飛んできて、情報を流してくれました。携帯端末を地方自治、特に安全・安心そして医療への活用が急務と思われました。



2014年2月9日日曜日

大雪の休日

みなさん こんにちは。
いかがお過ごしですか?

凄い雪でしたね。

 昨日予定されていた研究会や講習会は全て中止となりました。帰宅時には、ここは東京?って感じになっていました。風も強く吹雪でしたよね。

吹雪の人形町界隈です。

 ニュースを見ると、ただ事じゃあないことが分かりました。実家(八ヶ岳南麓)が心配です。両親だけでは雪かきできないでしょ!ってわけで、今日は早起きして”雪中行軍”です。

始発で中央線を西へ向かいます。
早朝のグランルーフ(東京駅)です。

 早朝のJR東日本運行状況のサイトでは”通常運行”って書いてあったので大丈夫かと思っていたんですが・・・

 
夜明け前の高尾駅の到着
電車もまだ寝ています。

高尾駅まではすんなり来れましたが、そっから先(甲府方面)は、運転見合わせ中とのこと。
再開の見込みは立たないとのことです。もう一度サイトを見ると ”運転見合わせ” だらけです。さっき確認した数分後から、 ”運転見合わせ” 情報がドンドン更新されています。

甲府方面、暗闇に浮かぶ赤信号

 そうだよな、そんなに甘くないよな、この大雪だし・・・仕方なく高尾駅で運転再開待ち・・・

約1時間30分遅れで、やっと運転再開。松本行の鈍行が入線してきました。これで何とか行けそうです。


明るくなってくると、昨日の大雪が良くわかります。まるで雪国を思わせる風景が続きます。

電車のドアが開いてもその先は雪がうず高く積もっています。これじゃあ、降りられないよね。もう、びっくりです。さすがに記録的な大雪ですね。

町はすっぽり雪に覆われています。(鳥沢あたりの鉄橋から撮影)
鉄橋から落ちないように超徐行運転でした。

勝沼あたりから見たブドウ園、その先が甲府盆地です。
一番奥が南アルプス連峰
青と白のグラデーションが良いでしょ!

結局予定より2時間遅れで最寄駅に到着して、
やっと実家に帰ってきました。

やっぱり・・・見たことがない積雪になっています。

さあ、雪かき 頑張るぞ!

先ずは家の生活通路を確保して・・・

自宅前の通路を確保します
一応通学路なので、地域住民のためエーンヤコーラです。
同様に雪かきしているご近所さんと挨拶して
コミュニケーションが大切です。

車を出す車道も確保しました。これでもう大丈夫です。
今日はいい天気だったのでもう汗びっしょです。

小淵沢駅に着いたらちょうどスーパーあずさが入線してきました。
ラッキーって思ったら、なっ 何と 回送です。あらら・・・
頼むよJRさん皆待っているんだからさぁ

中央線のダイヤは大幅に乱れているようです。

ふと見ると小海線のジーゼルカーがポツンと止まっています。小海線は時刻通りに動いているようです。
小海線に乗って、八ヶ岳を超え、長野新幹線に乗りかえて東京に向かいます。

こっちの方が雪深い所を通るのに、どうやら小諸まで行けそうです。
小海線自慢のHybrid ジーゼルカー です。




野辺山を過ぎると、佐久の広々とした平地が広がります。

佐久と言えば”若月俊一”先生の佐久総合病院です。


新病院に移る前の渓谷沿いにある旧病院を眺めながら、
ジーゼルカーは、ガタンゴトンとゆっくり進みます。

若月俊一先生は、昭和20年より当地に根を下ろし、地域住民の健康を守るため努力した、地域医療の神様です。若月先生の10年後輩には旭中央病院でお世話になった諸橋芳夫先生がいます。

若月先生は昭和20年に神田からこの地に来て、見事に農村医療を実践され、学問として後世に残し、病院も立派に残っています。”やれば出来る”を具現化しました。

若月俊一先生に、生きる勇気を頂いた気がします。さあ、頑張るぞ!
人生一回しかないし、やりたいことをやらなきゃ、ねっ!

予定外の小海線(八ヶ岳高原ライン)の旅でしたが、神様の思し召しだと思います。
若月先生に僕を会わせてくれました。感謝感激です。

佐久平で新幹線に乗り換え、無事に帰京出来ました。