2010年10月18日月曜日

ILCA その4

9月12日 日曜日

 ILCA最終日、いよいよ本日、僕の出番です。学会の初日が発表だと気が楽になって、観光でもしようかと誘惑に駆られるでしょうが、よくしたもので閉会式の直前が発表なんですよね。

 仕方なく朝も暗いうちから、プレゼンの練習をして本番に備えました。
「もっと大きい声で!何がメッセージなのか、強調して話しなさい。次のスライドに何が出てくるのか、期待させるようなプレゼンをしないと!」殿のお言葉が聞こえてきます。部屋で一人、予行練習です。


                  部屋から見たモントリオールの朝焼けです。


 いよいよ本番です。IFN+5FU動注の有効性について、世界中から集まった肝癌専門医の先生方に解かって頂けるように、一生懸命発表しました。

 このスライドは、インターフェロン併用5FU動注化学療法を行った649例の進行肝細胞がんの患者さんを解析した結果から得られた知見を示しています。抗がん剤の一番の問題点は副作用ではなくて(実際本治療においてはほとんど問題になりません)、人によって効果が分かれてしまうことです。

 決して全員が同じように効くわけではないのです。ですからどのような人にやれば最も効果を発揮するのか?その問いに対する答えを見つけて証明したのです。

 わずか3つのキーワード、①腹水がないこと, ②ビリルビン値1.0未満, ③血小板数12.6万未満。
この3項目を満たす場合と満たさない場合では、生存期間が2倍違います。ですから、まずこの3項目を満たした進行肝細胞癌の患者さんを対象に動注を行えば、効果が最大限発揮できるんです。


 日本の学会と違い、討論は活発で時に激しいのですが、発表が全て終わると暖かい拍手に包まれます。拍手に包まれ演台から降りるとき、ジワーっと、発表して良かったなと充足感に満たされました。


 さて、学会も無事に終わり、午後は自由です。明日のフライトは午前7時ですから、朝5時にホテルを出れば間に合います。

 やっと、街に出られます。 モントリオールの街中を散策しましょう。

                   ホテルの西側 山の手方面です。


 今日は日曜日でしたね。東京よりも季節は先取りして、日差しは強いですがもう秋の気配です。ちょうど遅めのランチ時間です。ワインを片手に、談笑しています。夏の名残りである日差しを皆で楽しんでいるようです。地球温暖化と東京の灼熱で敬遠されがちですが、太陽の恵みに感謝!ですね。


 街の北東に進路をとると、旧市街にでます。そこには1829年に完成したノートルダム大聖堂があります。荘厳な建物で圧倒されます。見上げるようにして撮った一枚です。


 そのまま石畳を東に下ると旧港があります。今は市民の憩いの場とイベントスペースになっているようです。奥に停泊しているのは船です。黄色いのが煙突です。


 カナディアン・パシフィック鉄道の貨物線が草に埋もれながらいい味を出しています。右側は廃線跡のようです。




 古い石造りの旧市街をみながらホテルに戻ります。ちょっと天気が悪く肌寒いのと今にも雨が降ってきそうな天気になってきました。急ぎ足でホテルに戻りました。


 モントリオール最後の夜は、発表も無事終わったので奮発しました。広島大学の片岡先生と、 QUEUE DE CHEVAL というシーフードとステーキのレストランに行きました。新鮮なオイスターにロブスターそしてよく冷えた白ワイン うーんっ 最高です。

 翌日は午前5時に起きて、日本に向けて出発です。厳しい出国検査と早朝で係員が少ないため、パスポートコントロールは長蛇の列です。ゆとりを持って空港に到着して良かったです。何とか無事にモントリオールを発ち、シカゴに着きました。シカゴではアメリカ入国のはずですが、信じられないくらいあっさりと乗り換えです。これから約13時間のフライトで東京です。出発待ちにビールで乾杯!

ILCA その3 -Silent tribute-



9月11日土曜日 ILCAは、昨日から開催中です。演題は、細胞内シグナル伝達系とそれらに対する分子標的約の開発と臨床試験のオンパレードです。



 がん細胞は、増殖や分化(細胞の成熟度のこと、一般に成熟しているほうが正常細胞に近く性質が良い。反対に未成熟だと正常の細胞からかけ離れ性質が悪い)を繰り返し成長していきます。

 この細胞の増殖や分化は、細胞内の分子が次から次へリレーのバトンを渡すようにして情報が伝達され、最終的に核という総司令部に届き運命が決定されます。この経路をシグナル伝達系といいます。

 この伝達系は、いくつもあるのですが、リレーのバトン(分子)を遮断して細胞の増殖を抑えたり、細胞を死に至らせる、これが分子標的薬(バトンを狙い落とす)です。

 従来の細胞を毒で傷害させる抗がん剤とは異なる、理論的裏付けがしっかりした新しいタイプの抗がん剤なんです。世界の巨大製薬会社が開発に凌ぎを削っているので、学会でもホットな討論が繰り広げられているのです。

 ただし開発には巨額の投資が必要なため結果として分子標的薬は驚くような高価な薬となってしまうのが残念なところです。

 しかし、人類の英知を集め研究が進んで、癌が撲滅される時代が近づいています。分子標的薬の登場は、歴史に残る節目であることは間違いなく、その現場にいられる幸せと緊張感に包まれた学会です。


学会開始前の会場 これからこの場で熱い討論が行われます。


 ステージと演題です。僕の出番は明日です。従来の抗がん剤(5FU)を使った治療は、原始人の治療だと、他の研究者が、マンモスを追う原始人のイラストをスライドにして熱弁していました。副作用の少ないIFN+5FU動注をどこまで、ここでアピールできるか?試練です。

 学会1日目が終わり、10人ぐらいで地元に留学している方の紹介でイタリアンレストランに入りました。お店は学会上から徒歩10分ぐらいにあるIl Campari Centro' です。お店の雰囲気もよく料理も美味しかったです。やっぱり大人数で食べると、会話も弾むし楽しいですよね。

 ホテルに戻ると、今日が September 11thであることに気付きました。アメリカ同時多発テロから9年が経ちました。どのチャンネルも特集番組を放映していました。原因は何であれ、暴力では物事は決して解決しません。過去の歴史が教示しています。憎しみの連鎖にしかなりません。

 本来、人々を救うはずの神々(宗教)のために、生身の人間が傷つけあう、あまりにも愚かです。テロの報復で、イラク、アフガニスタンで争いが絶えません。”決して暴力は解決策になりません”世界で唯一の被爆国(テロと戦争の違いはあっても広島24万人、長崎14万人が亡くなっています)として、全ての暴力の愚かさを、世に訴えていくべきです。

 1969年6月、平和を訴えたパフォーマンスが、ここ、モントリオールのクイーンエリザベスホテル(フェアモントホテル)で行われました。"John and Yoko's bed-in"です。

 奇しくも、9月11日の夜、クイーンエリザベスホテルに宿泊しながら平和について考えることが出来て幸せです。John の言葉です。War is Over! (If you want it!)

戦いの犠牲になった全ての人々に黙とう

ILCA その2 


9月10日金曜日 現地時間は9月9日木曜日夕方

 ワシントンで乗り換えてモントリオールに辿り着きました。今回は、発表するので自分へのご褒美ということで贅沢をして、学会場であるフェアモント・ホテルに宿泊です。



 地下鉄中央駅に直結していて、地下のショッピングモールにも直ぐ行けるので非常に便利です。早速トランクを部屋に置いて、夕飯の買出しに行きました。本当はいけないんでしょうけど・・モールで仕入れた、エッグサンドウィッチとフルーツカクテルにワインで乾杯です。


サンドのラベル egg の e と書いてあります。解りやすい?


安くて美味しい、しかもスクリューキャップ。

長旅の疲れを取って明日から学会です。

ILCA その1


9月9日木曜日 International Liver Cancer Association 2010 国際肝がん学会が、カナダのモントリオールで開催されました。

 世界中から、肝がんを専門とした医師や研究者が集まって討論する会議です。僕は動注化学療法について演題を応募しました。

 前にも書いたかもしれませんが、動注化学療法は海外では全く普及していません。

何故かと言うと大きく分けて二つの要因があります。一つは、手技が煩雑(慣れればたいしたこと無いのですが・・)で海外の先生が真似できない。もう一つ、実はこれが最も大事なのですが効くというエビデンス(証拠)が無いと(海外の先生は)いうのです。私達も論文を出しているんですけどね・・

ですから、何で日本人は動注なんてやっているんだ、理解できない。と言うのが海外の常識です。

 特にILCAを仕切っているスペイン・バルセロナ大学のJordi Bruix(ブリューシュ)先生らが声を大にして言っているのみならず、日本の肝癌診療ガイドラインにもケチをつけてくるから困るんです。

 だったら、学会で発表してやるよっ!って大和魂に火がついたわけです。動注も上手くやれば(対象とやり方、引き際を誤らなければね)効くんです。

 本邦の動注化学療法の成績を海外で、しかもBruix先生のお膝元ILCAで発表しなければ・・・

 宿命の対決です(ちょっと大袈裟?)。

 今年のmeetingは、約400題の演題応募があり、そのうち35題が口演に選ばれます。幸か不幸か、口演に選ばれました。よーし、選んでくれてありがとう、敵ながら殊勝な心掛けよのう って感じでしょうか。

 唯一の不安は、いつも海外の学会では、殿がいてくれたのですが、今回は私一人です。頑張るしかありません。

「いいかっ、英語が下手なんだから、スライドにしゃべらすんだ。あと聴衆に見ていただくんだから大きい字で解かり易く、飛び込んでくるスライドを作らないと、みんな寝ちゃうぞっ」

殿の声が聞こえてきそうです。スライドを作り、発表の練習もしました。

いつもの空港内すし屋で景気をつけて、いざ出陣です。

静岡 よろず 勉強会 

9月4日 土曜日 第5回 肝病理 よろず相談勉強会 に参加しました。

 静岡の伊東先生が幹事を務めている臨床(患者さんの病状の経過)と病理(肝生検などで得られた組織の形態や生化学、免疫、分子生物学など)を結び付けて病気の本質を学ぶ会です。


                       当日のパンフレットです。

 土曜日の午後、各地の病院から、いろいろな肝疾患の患者さんの病歴と臨床経過そして肝生検のプレパラートを持ち寄って討論します。普段、肝臓といってもほとんど肝細胞癌しか診ていない僕にとっては、非常に勉強になります。教科書ではない一例一例で、患者さんと主治医の歩んだ道ですから、非常に役立ちます。 やっぱり経験してナンボの世界ですからね。

 明日も静岡で勉強会があるため、今夜は静岡に宿泊です。伊東和樹先生をはじめ、勉強会に参加した日本各地の先生方と、恒例の河太郎での親睦会にでて夜は更けていきました。


9月5日 日曜日 第1回 肝疾患総合治療懇話会に参加して


 昨日に引き続き静岡です。朝、駿府城址の駿府公園を一周してきました。家康が秀忠に政権を譲渡して隠居していた頃は荘厳ある天守閣が建っていたそうです。


 今は、その面影はありませんが、お堀が(たぶん)だいぶ縮小され残っています。

 さて、今日は肝疾患について、さらに気軽に、しかもホットな討論ができる会を創設しようと、再び、静岡の伊東和樹先生の呼びかけで開催されました。

 病気だけじゃなくて、診断や治療の礎となる 解剖・生理・ウイルス・免疫 など基礎医学も含めて勉強しようという会です。会の名前は’肝臓よろず勉強会”となりました。

 お互いの自己紹介も兼ねて専門分野の講演をコンパクトに行いました。




 その後、静岡駅前に新しく出来た葵タワーの最上階にあるレストラン ウ゛ォーシエルで 、みんなでランチを頂き解散となりました。

 このレストランは25階にあり、周囲にこれ以上高い建物がないので、見晴らしは最高でした。さながら現代の天守閣のようです。家康もこの景色を見られたら、さぞ驚くでしょうね。



 驚くと言ったらもう一つ。新幹線が静岡駅を出発してすぐ、右手に巨大なガンダムが現れました。後日、伊東先生から頂いた写真も載せておきます。

              静岡に降り立った機動戦士 でっ、でっかい!

ムンバイ出張 その4 MANI BHAVAN

8月30日月曜日

 帰国前に、どうしても行きたいところがあります。MANI BHAVAN です。



 ここは、マハトマ ガンディ とインド国民が、自由を勝ち取るためにユニークな戦いをした、その記念館です。この小さな家は1917年から1934年までボンベイ(=ムンバイ)におけるガンディ運動の本部として使われてきました。

 1919年4月6日に、ガンディが初めて自由を勝ち取るために大衆論争を繰り広げ、英国支配の基礎を揺さぶったのもこの地からでした。





 2階には、ガンディが使用していた部屋が昔のままに保存されています。ガンディが初めて糸紡ぎのやり方を覚えたのもこの部屋だそうです。



 右に見えるテラスで、朝のお祈りをしていたそうです。





私たち後世に生きる者も決してガンディの祈りを忘れず、自由と幸福に満ちた社会を築き、そしてそれを維持すべきであると肝に銘じました。





 表に出ると、聖牛が出迎えてくれました。
これから患者さんに会ってから、飛行場に向かいます。



 いつでも、どこでも、人類が争うことなく平和で、公平で、地球にやさしく、お互いを尊重し、助け合う、真の豊かさの追求を目指す、全人類の課題です。決してあきらめないで・・・碧い地球を見ながら、そう思いました。



 富士山が見えてきました。もうすぐ着陸態勢に入ります。さあ、現実の世界が待っています。頑張ろっ!

ムンバイ出張③

8月29日日曜日 雨のムンバイ

 今日はムンバイに滞在です。帰国のフライトは明日の夕方です。昨日、手術を行ったので不慮の事態に備えての滞在です。幸いにも経過良好で、今日はゆっくりできそうです。

 雨季のため、今日も朝から雨が降っています。

 今回の宿泊はThe Taj Mahal Palace & Towerでした。招待してくれた先生方にだいぶ負担をかけてしまいました(5つ星です)。せっかくの御好意なのでありがたく楽しませて頂きました。外は雨なのでまずはホテル見学ツアーをしましょうか。

               正面から見上げた旧館です。雨の合間に撮影しました

 このホテルは、インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者であるジャムセットジ・タタ氏によって約100年前に作られました。

 100年前のある日、ジャムセットジ・タタ氏が、当時ムンバイで最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとしたとき、白人専用であることを理由に断られたのが開業のきっかけだそうです。タタ氏は、もっと豪華なホテルを、インド人の手で築いたのです。

 彼の威信をかけて建築されたホテルは、インド人建築家により西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式を混合した姿で設計されました。確かに建物は趣がありますし、何といっても荘厳です。

                  旧館の中庭に面した廊下です。

 旧館には、レジデンスがあって、超お金持ち専用のスペースになっています。皮肉にも白人しか見当たりません。レジデンス棟の中庭に面した廊下は、表の喧騒(まさに漢字の如し)が嘘のような世界が広がっています。

 オッと、レジデンス住人オンリーと看板が出ていました。道理で誰もいないはずですね。守衛さんが来ないうちに退散しましょうね。

 でも世の中には、こんな生活を毎日送っている人もいるんですね、驚きです。街の喧騒とはあまりにも世界が違いすぎます(テロの標的になったのもわかる気がします)。

      レジデンス棟の螺旋階段の踊り場です。日曜日の早朝なのでまだ誰もいません。

                    玄関に神様?の置物がありました。

  いつ頃、誰が、何のために作ったのでしょうか?何かの祭殿に飾られてあった女神なんですかね。解説は特に書いてありませんでしたが、大事に保管されています。


 さて、雨も少し止んだので、ホテルを出て街の喧騒の中に飛び込みましょうか。

                    まずは、ホテルの真ん前インド門です。


 大英帝国の支配下にあった1911年に、英国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られた海に向いた門です。 写真ではわかりにくいですがこの門の先は波止場になっています。大英帝国支配時代、この門を向こうからくぐって上陸していたようです。

   ホテルの部屋から見たインド門です。波止場に面しているのがおわかりいただけると思います。横に並んでいるカラフルな小舟は、エレファント島(洞窟に石像がある世界遺産)に行く連絡船です。写真を撮ったのは早朝なのでまだ人影はまばらです。

                  さらに街に出てみましょう。ホテルの裏側です。

歩道が狭く、人やら犬やらが入り乱れています。露店があったり焚火をしたり混沌としています。そこで車道を歩いています。

 これは、大学です。大英帝国時代のものでしょうか。重厚な建物です。ただし日曜日かもしれませんが誰もいません。

 こんなキャンパスで勉強したいですよね。ここに代表されるようにムンバイは内陸のデリーと比べて緑があり、埃っぽさが全くなく街の色彩も豊かです。


大きな交差点です。ひっきりなしに車が来ます、多くの交差点はロータリー式になっているので歩行者は渡りにくい(信号がない)です。バスも車も、すごい黒煙を排出しながら往来しています。インドの環境を整えることは、とてつもない人口を抱えていることを考慮すると急務と思いました。


 また雨が降ってきました。このような軒先や街路樹の陰で、雨をしのぎながらホテルに戻りました。ビッチョになってしまいましたので熱いシャワーを浴びて、さっぱりしたところで紅茶を飲みながら読書三昧の午後を過ごしました。

ムンバイ出張②

8月28日土曜日

 ムンバイと東京の時差は-3時間30分です。8月(6月から9月)は、モンスーンの時期なので、毎日雨が降っています。こちらも異常気象の影響で、降雨量がとても多いそうです。今日も朝は雨、日本の梅雨のようなシトシトという感じではありません。それこそザーと降った後はご覧のように晴天です。でもこの雨のおかげでムンバイには豊富な水がもたらされているのです。


 写真は本日、でもストレーションを行った"Jaslok Hospital"です。ムンバイの中心街にあります。血管造影室は17階にありました。

 現地の放射線科の先生が助手を引き受けてくださり、放射線科や消化器内科の先生に囲まれながらなんとか無事に動注カテーテル埋設術を施行してきました。道具は使い慣れたものを日本から持ち込みましたが、やはりawayでの手術は難しいです。しかもみんなに注目されてですから。

 かなり疲れましたが良い経験をさせていただきました。このあと病院の傍にある競馬場内(といっても日本のそれとは違いクラブハウスのような)にあるGallopsというお店で遅めのランチを頂きました。

 みなさん非常に親切でに歓迎してくれました。食事中の会話で夏休みの長さ(時節柄)や日常の生活が話題となり、僕たちと少し裕福なインド人との文化の差、生活の差を感じました。

 ホテルで一休みしたら、ディナーです。アクロバット英会話で乗り切れるかなぁ。

ムンバイへ出張①

8月27日金曜日  

 インド・ムンバイにて肝動注カテーテル埋設術のデモストレーションのため出張しました。3泊4日の行程です。今日のフライトはNH943です。使用機材はB737-700ERで座席数は40人前後の小さいながら最新鋭の飛行機です。正午頃に成田をたち現地時刻の19時頃にムンバイ着です。

 いつものように第1ターミナル出発ゲート内にあるすし屋さん京辰(今日発つ(ハハハ))で、一人、壮行会をしました。日本酒と寿司を食べて元気をつけて、しばし日本とお別れです。

 好天に恵まれ、成田を発つと台湾あたりまで日本列島に沿って南下します。日本列島の島々と青い海と空そして白い雲が連なり見事な景色でした。多忙な日常を忘れさせてくれるには充分です。

下に見える湖は、浜名湖です。


 飛行機は一路ムンバイに向け、西に旋回して内陸に入ります。これからは映画の時間です。

 今回は、沖縄の美しい海を守る男の話、養殖珊瑚の移植と産卵に始めて成功した金城浩二さんをモデルにした映画「てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡」を鑑賞しました。

 金城さんは、沖縄のサンゴが白化現象に見舞われ、死滅しつつあることを知り、「家族にきれいな海を見せたい」という一念で、世界で初めて養殖サンゴの移植に挑戦しました。

 珊瑚は刺胞動物門花虫綱に属する動物(サンゴ虫)の一種です。サンゴと共生する藻が海水温上昇などで減少すると、白化現象が起こります。サンゴは、この藻の光合成に頼ってエネルギーを補給しているため、藻が減ってエネルギーが不足するとサンゴは白化し、やがて死滅していまうのです。


 金城さんは、養殖珊瑚の移植のみならず、その産卵に成功しました。移植した珊瑚が産卵すれば、さらに珊瑚が増殖する可能性があるのです。美しい海を取り戻す道筋を立てたのです。

 そこにたどり着くには幾多の困難があったそうですが彼は言います、「自分一人でがむしゃらにやってきたつもりが、多くの人に支えられていたんだなと気づかされた」と。

 自分自身に言い聞かせたい珠玉の言葉です。

 沖縄の青い海と心温まる家族愛と環境問題への提言の物語、お奨めです。 
僕も協賛して一株移植していただく手続きを後日とりました。
僕に出来るささやかな環境保護です。いつか沖縄の海にもぐりたいな。

 さて、ムンバイにまもなく到着です。

諏訪中央病院を見学して

8月17日 火曜日

 夏休み最後の1日、書類整理をしてから半日の鉄道旅行を企画しました。

 コースをどうするか?時刻表を見ながら検討します。その瞬間、旅は始まります。子供の頃、実際には行けないのですが、飽きもせず時刻表上でバーチャルトリップをしたことを想い出します。

 今晩、山梨でmeetingがあるため、半日tripの最終目的地は甲府です。時間的に最近イヤと言うほど乗っている中央本線しか行けません。子供の頃、あれほど乗りたかったのに…ただの移動手段になってしまうとダメですね、通勤電車みたいなもので…そこで、せめて甲府の先を目指しました。

 新宿駅12:00発のスーパーあずさ号で出発です。E351系は振り子式車両で、カーブでは内側に傾くことによって高速で走行できます。25/1000の登り勾配をグングン駆け上ります。目的地は長野県茅野駅にしました。

 甲陽病院(9月13日参照)のこともあり、今井澄先生鎌田實先生が築いた諏訪中央病院の見学が目的です。

 陽が燦々と降りそそいでいましたが、そこは灼熱地獄の東京とは違います。高原の緑が輝き、青く澄んだ空に心地よい風がありました。


 茅野駅は、高原リゾートに行く人やお盆を実家で過ごし帰京する家族、その子供や孫を見送る老夫婦でごったがえしていました。


 諏訪中央病院は茅野駅からみて東側の山裾にあります。市街を抜け、橋を渡り山裾のスポーツ公園の先に病院はありました。病院は地元の方々で活気に満ちていました。

 僕が研修医時代にお世話になった旭中央病院 との共通点ですが、古い建物で決して華美ではないのですが、きちんとメンテナンスされています。例え建物が古くても綺麗に整理整頓され、清潔で、そして何よりも行われている医療がしっかりしていれば病院は機能するものです。


 ここには、地方というハンディをものともしない立派な病院がありました。病院の内部には、人々から寄贈された絵画や彫刻が場を和ませていました。




 また院内のあちらこちらに鎌田實先生のメッセージが掲示されていました。病院理念の浸透に役立てられているようです。また壁にはスタッフの紹介、部署の紹介などが各所でみられました。






 病院は人で支えられているという現実を目の当たりにしてきました。またアニマルセラピー等もボランティアで企画されているようです。そのレポートも壁新聞の如く紹介されていました。自主性を重んじ、その中に職員としてのプロフェッショナルを追求する姿とやりがいを育てる姿を垣間見ることが出来ました。わずか一時間位の滞在でしたが収穫は“大”でした。


これはボランティアによるアニマルセラピーです(下段のみ病院ホームページから拝借)

病院の屋上から諏訪湖方面を眺める



 茅野駅に戻るとちょうど臨時列車が待っていてくれました。八ヶ岳の北麓から南麓へ移動し、僕も実家によって少々の親孝行をしてきました。その後、甲府に戻り小俣先生宅で開催された勉強会に山梨県立中央病院の先生方とともに参加しました。とても充実した夏休みを過ごせました。