2014年8月14日木曜日

ボルチモアの早朝

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

ボルチモアの街、いわゆるウオーターフロントをジョギングしました。
クラブケーキのお店があったマーケットあたりとは大きく異なっています。

アメリカの抱える一つの問題かもしれませんが、ある意味、きちんと棲み分けが出来ているってことでしょうか?


夜が明けてきました。さあジョギングに行きましょう。





前方を走るランナーは、もちろん僕じゃありませんよ。


いろいろ考え学ぶことが出来た休暇でした。

ありがとうございました。

2014年8月12日火曜日

ボルチモアの休日

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

MLB、ヤンキースとオリオールズの試合がボルチモアで開催されていました。
この観戦が夏休みの主目的です。

相手チームのホームグランドですが、この球場はその美しさで定評があります。


この美しい天然芝が売りです。芝の薫りが球場を包み込みます。



19世紀に建てられた倉庫を借景としています。


球場スタッフがチビッ子を引率、将来の大リーガーかも。



球場の外観です。3日間で2戦2敗、1戦は雨で延期(観戦できず)と試合そのものは散々でしたが、それはそれで、ね。


お決まりのベイブルース像です。彼はボルチモアの出身です。


ベイブルースの生家は博物館になっています。


港町なのでシーフード、特にクラブケーキが有名です。最もおいしいという評判のお店に
行きました。地元マーケットの一角にあります。明らかに白人率が低い地域にあるのですが、
本当に美味しいものは、こういうとこにあるんですよね。


蟹饅頭です

2014年8月11日月曜日

ワシントンの早朝

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

早朝のワシントンをジョギングで観光しました。








やっぱり、アメリカは大きい!

大きい、力強い、自由なアメリカ。学ぶところは大ですね。


2014年8月10日日曜日

夏休み

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

台風で大雨の地域もありますよね。
お見舞い申し上げます。



自然災害は、想定外がつきものです。
十分に備えてくださいね。
また無理をしないことです。

自分の命は自分で守るしかないですからね。


さて、恒例ですが、お盆の時期になりましたので、今日から夏休みを頂きます。



留守番は、

肝臓 河井先生 石井先生

消化管 杉本先生

胆膵 八島先生

です。

宜しくお願いします!

2014年8月9日土曜日

父に代わって

みなさん、こんにちは!

いかがお過ごしですか?



今日、ある患者さんが亡くなりました。

約5年の闘病生活、僕のところに来て2年半でした。

多発肺転移でSorafenib (ネクサバール)が効かなくなってからでした。

野球で言えば、9回 10 対 0 で登板です。敗戦濃厚です。

でも、ここからが僕らの出番です。



フォークやカーブ(標準的治療)は使い切り、後は全て直球勝負です。

直球(5FU)を如何に投げるか? です。

 この患者さんは、逆転こそしないものの、何とか9回裏に追いついて、延長戦を戦っていました。

 関西から通ってくれましたが、何時もの口癖が、「もらった時間ですから・・・・」と。

どうしてこんなに大人になれるんだろう?っていつも思っていました。僕より10歳も若いのに・・


本日、朝から、肺転移による喀血が起こりました。病室でやれる処置は全てやりましたが、救えない無力感。どうにもならないです。

ただ出来ることは、そばに居てあげることだけです。

 お子さんはまだ中学生と小学生です。急いで東京に向かってもらいましたが、幸か不幸か間に合いませんでした。

「きっと、神様の思し召しですね・・・」と奥様にお話しました。

本人は辛いところを子供に見せる事無く、妻に甘えられたわけですから。

亡くなった後、看護婦さんたちが綺麗に清拭してくれました。さっきまでの苦しみはウソのようです。ちょっと微笑んだような顔でした。

お子さんたちも、微笑んだお父さんに会えてよかったと思います。

関西まで、お盆ラッシュと台風のダブルパンチでしたが、寝台車でお帰りになりました。

息子さんたちに別れ際にお話ししました。

 「お父さんは、今、亡くなったけど、お父さんの魂はずっと君たちの心の中で生き続けているんだよ。なぜなら、君たちの半分はお父さんで出来てるから・・・」

「お父さん半分、そしてお母さん半分、それが医学的にいう君たちだからね。」

「これから辛いこと、大変なこと、きっとあるだろう。でも力を合わせ、お母さんを助け、頑張って生きていくんだよ」

「なぜなら、君たち男の子だからね」って。


僕に患者さんが乗り移って、しゃべっていました。

僕が言おうとしたわけではありません。患者さんの部屋に入ったら、自然に込み上げてきた言葉です。

間に合わなかった分を、取り戻せました。

神様、ありがとうございます!

最後になりましたが、ご冥福をお祈りします。


2014年8月8日金曜日

第二内科同窓会

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

東京大学病院にて、第二内科同窓会が開催されました。
現在は、臓器別に細分化されていますが、昔は第一内科、第二内科、第三内科というように、
分かれていました。

僕が入局したのは、第二内科です。

その同窓会が毎年開催されています。毎回、活躍されているOBの先生が講演されるのですが、今年は、順天堂大学消化器内科画像診断治療室教授に就任された椎名秀一朗先生が講演されました。


講演中の椎名秀一朗先生

順天堂大学における新たなラジオ波焼灼療法の取り組みについて、ご講演されました。
臓器別に再編される前の、懐かしい先生方とも久しぶりにおあいすることが出来ました。

東大病院も、新たな工事が始まってているようです。昔の面影を残す建物達を、ついでに写真に収めてきました。


北病棟 第二内科は3階でした。



中央病棟です。

2014年8月7日木曜日

納涼会

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

今日は、杏雲堂病院の医師達の納涼会でした。
院内全ての先生の、顔と名前が一致することが、この規模の病院の最大のメリットだと思います。

皆で力を合わせて、理想的な医療を行いたいと思います。


中央奥が、乾杯のあいさつをしている山中院長です。

納涼会にふさわしく、ドイツビール を堪能しました。

I’m the head nurse at Emory.

みなさん、こんにちは!

いかがお過ごしですか?

 先日、現在西アフリカで猛威を振るっているエボラ出血熱ウイルスについて、お話しました。

 アメリカに帰還した患者さん(人道的支援で現地に飛び込んだアメリカ人医師が感染)にまつわる、アメリカの世論とそれに対峙するエモリー大学の総婦長のコメント、それを掲載したWashington Post の公平な姿勢を紹介します。



 どっかのアジアの小国(残念ながら日本のことですが・・・)この愛国心も含めて学びたいものです。これぞ、大人の対応です。

 僕も見習いたいです。

前置きはさておき紹介しますね。全文は こちら を参照して下さいね。

 エモリー大学病院はアメリカでもトップクラスの医療を行っている病院で、特に感染症ではアメリカ随一です。



 致死率の高いエボラ出血熱に感染したアメリカ人医師二人が本国に治療のため帰還しました。アメリカ世論の大勢は「そんな患者を帰還させて私たちに感染したらどうするんだ」 って意見です。

 その世論に対して、その重症患者を収容したエモリー大学のヘッドナース(総婦長)のお言葉(一喝)です。

 説得力と使命感! 

素晴らしいの一言です。世間は黙ってしまいました。さすが総婦長!

 以下、ワシントンポストに掲載された文章の和訳(翻訳 小尾俊太郎 なので、原文をみてくださいね)です。


 Susan Mitchell Grant エモリー大学病院 総婦長


I’m the head nurse at Emory. This is why we wanted to bring the Ebola patients to the U.S.
These patients will benefit -- not threaten – the country.

この患者さん達をケアすることは、米国にとって脅威ではなく、有意義なことです


 85日火曜日、致死率の高いエボラウイルスに感染した2例目のアメリカ人が82日の1例目に続いてアフリカからエモリー大学病院に到着しました。

そして二人は過熱気味の報道や人々の不安の渦中、特別隔離病棟に入院して、高度な専門トレーニングを積んだ医師や看護師によって治療を受けています。

人々は、エボラウイルスが米国本土に拡がらないのか心配だとSNSで感情的に訴えています。

 これらの恐怖は、風評とか、エボラウイルスの知識や私たちエモリー大学病院の安全に対する取り組みなどが、残念ながら、充分に一般の人々に伝わらないために起きていることと思われます。

 エモリー大学病院では、このような危険度の高い感染症に対応できる特別隔離病棟と感染症に対する戦略と対処方法について十分に研鑽したスタッフがいます。

 しかしさらに残念なことは、人々の不安が米国医療の基本的な使命を見失っていることです。

 病院の使命とは何でしょう?病める人を助けること、そして人々の健康に対して卓越した知識を持つことではないでしょうか。

 エモリー大学病院では、質に高い教育や研究そして献身的な奉仕を、常に我々の行動規範としていますが、今回のような事例の対処においても同様です。

 さらに我々米国民は、今回の患者さんを治療することによって得た知識によって、さまざまな国益が得られます。

 エボラ問題は、ことエモリー大学病院における患者さんの治療に留まりません。これらの経験から得る見識は、将来我々が直面するであろう緊急事態(致死的感染症)への備えになります。

 また私たちは、エボラの治療における新しい治験を、世界に人々に教えることが出来ます。

 この病原は私たちが暮らしている地球全体の問題なんです。もしこれらの致死的疾患を水際で防ぎたければ、私たちは世界規模で治療や研究に貢献しなければなりません。

今や病気は一つの町や国さらに大陸にも留まらないのです。世界全体に広がる恐れがあるのです。

 今回、私たちエモリー大学病院が、エボラ出血熱ウイルス感染者を収容したことで、最も重要なことは、私たちは正しいことを行ったということです。

 感染した患者さん(現地で奮闘した医師)は、特に致死的なエボラ出血熱の蔓延を防ぐための人道的支援の一環として、保健衛生のインフラの無いアフリカの国々に快く飛び込んでいきました。

 彼らは、私たちと同様に献身的に医療に尽したのです。

 このような人達の治療を拒否すれば、私たちのプロ意識の倫理基準において、大きな禍根を残すことになったでしょう。

 彼らの治療が効果的に安全的に行うことが出来るのであれば、人道的に尽して、結果としてエボラ出血熱に罹患してしまった彼らには、母国に戻って治療を受ける権利があると思います。

 さらに、ヘルスケアの専門家として、この問題に対処することは私たち自身の研鑽になります。

「どうしてこのようなハイリスクの患者さんのケアを選んで行うのですか?」 とよく聞かれます。

 私たちは、どうしてこの職業を選んだのでしょう? そうです。救いを求めている病める人達を救いたいからです。と答えています。


 多くの人々がこの二人の患者さんの治療に献身的に従事しています。今回少なくとも二人の感染症のエキスパートナースが休暇期間を返上して治療にあたっています。

 いつか、このようなケースに遭遇しても、患者さんを安全に助け癒すことが出来る知識を得ることによって、彼女たちは満足が得られるのです。

 また彼女たちは、助けた患者さんやご家族から感謝を得ることが出来るのです。

 人は誰もが、病めるとき、より良い治療を受けることを、望んでいると思います。

 私たちは、自分たちの行動を、誤解や恐怖そして自己主義に基づいて導くことも出来れば、自分たちの行動を、知識や科学そして思いやりに基づいて導くこともできます。

We can fear, or we can care.

私たちはただ恐れることも出来ますが、私たちはケアすることも出来るんです。

どうぞご理解下さい。





2014年8月4日月曜日

9階ラウンジ@杏雲堂病院

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

 杏雲堂の9階に ラウンジと売店がオープン しました。

南西の角に位置し、陽が燦々とあたる最高の環境です。


エレベーターで9階に上がってください。
突き当りが売店です。ラウンジオープン中は、扉が開いていますよ。




テレビモニターも併設
甲子園高校野球の応援は9階でどうぞ。




最上階の南西角部屋、杏雲堂の特等席です。



テラスにはちょっとしたグリーンも添えて、
都会のオアシスとなっています。


売店も地下から最上階へ移動しました。



売店のお姉さんがいない時は、僕(自販機くん)を
利用してね!




少しでも良い療養環境を創っていきたいと思います。

どうぞご利用くださいね!

2014年8月3日日曜日

エボラ出血熱 Ebola hemorrhagic fever

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?



これ、なんだかわかりますか?

今、西アフリカで猛威を振るっている”エボラ出血熱ウイルス” です。


1976年に最初に発見されました。感染すると細胞のたんぱく質を溶かし(タダレ)てしまい、
致死率が非常に高い ことが知られています。

ウイルスは、自分だけでは仲間を増やせません。ヒトなど他の生物に感染して、その生物を利用して仲間を増やします。

 ところが、エボラ出血熱ウイルスは、その致死率の高さから、感染者が他人に感染させる前に死んでしまっていたため、以前は蔓延しにくかったんです。実際、アフリカ大陸で過去10回、突発的に発生・流行し、かってに終息(皆殺しして終わり)しています。

症状は高熱、倦怠感、出血を伴う発疹、全身痛です。体に付着した血液など体液を介して他人に移ります。

どこの国も愛する家族がなくなれば、遺体にすがると思うのですが、同じ集落の人々も、遺体に触って別れを告げる風習が、ウイルスを患者(遺体)から新たな宿主(他のヒト)に感染を広げていきます。





今年の2月頃から、今回のブレイクが発生し、先ほどお話したように猛威を振るっています。

場所は西アフリカ北部です。





拡大すると




今年の3月に、WHOのホームページで、

Epidemic & Pandemic Alert and Response として紹介されました。

その時の患者発生マップです。


ギニアの南東部の森林地帯で発生した今回の感染は、隣国のセラレオネ、リベリアに拡がって、パンデミックを起こしました。

コウモリの狩猟で生活していたギニアのゲケドゥ県周辺のある村の一族から広がりました。森林地帯のこの地域ではコウモリが蛋白源として食べられています。

コウモリがかつてのエボラ出血熱の発生地であった中央アフリカのコンゴやルワンダといった地域から、西アフリカにウイルスを運んだと思われます。

ウマズラコウモリを介して狩猟民族に感染したとことが、今回のパンデミックのきっかけです。


ウマズラコウモリ

見やすくするため天地逆ですが、確かにウマズラですよね。

アフリカ大陸といえども、昔と比較して住民の往来が激しいため(現代化の波)、感染が広範囲に蔓延したと考えられています。

感染の終息に向けたプログラムの実行と、患者の治療のためWHO国境なき医師団が現地入りしています。


今回のパンデミックで最も被害の多いシェラレオネの東の町 Kailahun カイラフン(感染源のケニア・ゲケドウのすぐ南西)に国境なき医師団の活動拠点があります(上の地図の赤丸印)。


   感染の疑われる患者を治療施設に受け入れるスタッフ(シエラレオネ・カイラフン)


エボラ出血熱はウイルス疾患で、未だ抗ウイルス薬も開発されず、ワクチンは動物実験段階とのことです。

今回のパンデミックで、死亡者は700人を超え、医療従事者も60人以上が犠牲となっています。
シエラレオネで医療チームを率いていた国民的英雄と称されているシェイク・ウマル・カーン医師(39歳)も感染により犠牲となりました。

Dr.Sheik Umar Khan


アメリカ人スタッフも二人感染し、チャーター機で本国に帰還し、隔離病棟で治療中とのことです。



ウイルスは患者(エボラ出血熱に感染し発症したアメリカ人スタッフ)と共に、アメリカ本土に上陸 しました。

 今回のパンデミックの地は、シエラレオネ・ギニア・リベリアですが、なんとエボラ出血熱に感染し発症したリベリア人が、一般の乗客として、飛行機で移動し、ナイジェリア空港で力尽き倒れたそうです。

ウイルスはナイジェリアに、感染患者によって運ばれました

以前は、コンゴもしくはウガンダの小さな集落で発生してはその都度、終息していました。少数部落で人々の移動が無かったため、ある意味、抑え込めていたわけです。

現代社会で治療法のない、強力な感染力と致死力を併せ持つウイルス の パンデミック を抑え込む難しさ に我々は直面しています。

ナイジェリアからさらに拡散しないことを祈るばかりです。





エボラは致死率が90%にも達するため、病名がすぐに "死" のイメージと結びついてしまいます。それが人びとの不安を大きくかき立てています。
一部の住民は、エボラを 「魔術のようなもの」 と考えています。
現地入りした国境なき医師団によると、うわさや疑念、外部からの侵入者に対する敵対心が根強く、人々は孤立し、怯えているとのことです。このため医師団の活動もスムーズにいかないようです。


さらに入院は 「死の宣告」 と考えられ、数十人の患者が匿われているとみられていて、疫学調査や隔離を困難にさせています。
ウイルスに対する特効薬がない以上、 いかに感染を制御するか です。
人類の英知が勝つかウイルスの強(したた)かさが勝つか まさにせめぎ合いが続いています。
克服するためには、①正しい知識を如何に住民に理解させるか ②如何に患者を隔離して蔓延を防ぐか の二点に尽きます。
対岸の火事ではありません。人類の存在に関わる問題 です。

一緒に考えましょう。

2014年8月2日土曜日

盛夏の八ヶ岳

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

 8月最初の週末、甲陽病院の外来です。

新宿発 午前 6:30 の臨時あずさで、八ヶ岳南麓に向かいます。


国鉄時代に信越本線を走っていた189系あさま号
(長野新幹線で淘汰された生き残り)の車両です。
今朝は臨時あずさ号として、中央本線を走ります。



さすがに古いので錆が出ていますが・・・頑張っています。



懐かしい、国鉄時代の特急です。
一般の人たちには古ぼけたハズレの列車、
鉄ちゃんにとっては、貴重な動く鉄博(鉄道博物館)です。



車窓から・・・初夏の八ヶ岳。
ここまで来ると標高750m。高原の爽やかな風が待っています。



八ヶ岳南麓の玄関口、小淵沢駅に尽きました
空の青、雲の白、そして車体の色、美しくマッチしています。




小淵沢駅の待合室には、”かぶとむしのいえ” がありました。


カブトムシ君、子供たちの注目の的ですね。

和やかな週末の一コマです。