2010年5月31日月曜日

第46回日本肝臓学会総会に参加して(仕事)

5月27日木曜日と28日金曜日






 第46回日本肝臓学会総会が山形市で開催されました。


 当科からは、私と佐藤隆久先生が参加しました。演題は「進行肝細胞癌におけるソラフェニブに関する多施設調査研究」として、千葉大学消化器内科と共同研究した成果を発表しました(発表者は千葉大小笠原定久先生です)。


 ソラフェニブが本邦で使用可能となって、初めての肝臓学会総会です。いくつかの施設から使用経験のデータが発表されました。共通項として副作用が特殊(手足皮膚反応を始め皮疹、高血圧、下痢、倦怠感など)でそのマネージメントが大切であること。副作用を上手にコントロールして内服を継続すると効果が期待できることなどです。


 私達の多施設共同研究は最も対象症例が多い検討(50例)です。やはりある程度の数を集めないと統計のばらつきがあり正しい解析が出来ません。今回の私どもの検討は、Asia-Pacificで行われた大規模な無作為比較試験とほぼ同等の結果が得られました。Overall survival 6.9ヶ月(Asian-Pacific 6.5ヶ月), Time to Progression 3.0ヶ月(同2.8ヶ月), Disease Control Rate 37%(同35%)でした。


 ランチョンセミナーでネクサバールの副作用マネージメントの講演(講師 国立がん研究センター中央病院皮膚科医長山崎直也先生)を聴きました。やはり副作用で抗がん剤が服用できず腫瘍が進展するのは極力避けたいです。副作用対策が分子標的薬の使いこなすスキルになると思われました。


 午後は動注化学療法のセッションを司会させて頂きました。動注化学療法は劇的に奏功する症例が少なからず存在し、当然その予後は良好です。一方でまったく奏功が得られない症例もあります。出来るだけ早く奏功を見分け、効かない症例は、ソラフェニブに切り替えるのがよさそうという方向でした。しかし動注の有効性を証明するためには、まず分子標的薬と動注の無作為比較試験が必要です。大変ですがこの比較試験を当院で進めているところです。


 その他、肝炎や画像診断などのセッションでも勉強させて頂きました。肝臓という大きなテーマの下、全国から集まった先生方と開放的に議論が出来る場です。これが学会の醍醐味だと思います。



 夕方5時に終了ですので、隆久先生と山形まるごと館紅の倉の中にある蕎麦屋さん「紅山水」に行きました。この建物は昔の紅花問屋を改築した味わいのある建物です。



 その後、東京大学消化器内科25研と関連施設の先生方で反省会をばんだいというお店で行いました。充実した一日でした。

5月28日金曜日


 早朝、ジョギング(再びお城にある済生館本館まで往復)して、6時22分始発の新幹線で帰京しました。これから杏雲堂の外来と病棟です。

 本日の走行距離2.8km、走行時間30分、時速6.7km/hr、消費カロリー243キロカロリーでした。ただし昨晩の摂取カロリーの方がはるかに高いです。

山形市内のジョギング(雑記)

5月27日木曜日

 朝、学会が始まる前に山形市内をジョギングで観光しました。

ホテルを出て、街の北東に進みます。


旧山形県高等師範学校(国重要文化財)1901年に建築され、山形の教育者を輩出してきました。現在は、教育資料館です。

次は、東に向かい川沿いにある日本一の芋煮鍋です。





毎年9月の第一日曜日に日本一の芋煮フェスティバルが開催されるそうです。どんな味なんでしょう?

そして川沿いを北上し、次に目指すのは薬師寺です。



 薬師寺は木立の中にあります。山形に住む人々の願いをこめた参道の石畳が歴史を物語っています。5月8日から10日は、植木市が開かれる(全国三大植木市)そうです。薬師寺に全てに人々の健康をお祈りしました。



 次は、南西に進み分翔館(旧山形県庁 国重要文化財)を目指します。




 1916年(大正5年)に、県庁舎および議事堂として、イギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りで建てられたそうです。今は、内部を改装してギャラリーやホールとして開放されています。

 次は西に進みお城を目指します。



 江戸時代が偲ばれるように現代が入らないような構図にしましたがいかがでしょうか。山形もバブルの頃お城を再建してしまったのですね。せっかくですから楽しまないとね。


  最上義光候の騎馬像です。勇ましい躍動感があります。者ども、ついて来い!って感じです。

その後、城内にある旧済生館本館を訪ねました。


 今回の目的地”旧済生館本館”です。1878年建築された初代山形県立病院です。山形の宮大工が建築し人々に三層楼と呼ばれていたそうです。オーストラリア人のアルフレッド・フォン・ローレツが中心となってドイツ医学を普及させたそうです。


ローレツ博士です。さあ、これから学会です。私も先輩方に負けないよう勉強し、一人でも多くの人を救うように努力します。

本日の走行距離7.3km, 走行時間1時間, 時速7.3km/hr, 消費カロリー625カロリー 燃焼脂肪量44.7gでした。

2010年5月30日日曜日

日本肝臓学会総会 壮行会(雑記)

5月26日 水曜日

 第46回日本肝臓学会総会が、27日28日の二日間、山形市で開催されます。
前日、山形入りしたメンバーで、壮行会を行いました。

 壮行会といっても名目で、”山形の旬の味と豊富な地酒を楽しむ夕べ” が、正しい表現です。

今回の幹事は、東大消化器内科の後藤先生が幹事でした。やまがた旬彩 れんげ草というお店でした。

 米沢牛に芋煮、十割そば、それとこのお店の特筆すべきは地酒おためしセットです。メニューに山形県の地図と蔵元の分布が記載され、それぞれの蔵元から2-3種類のお酒が並んでいます。その数ざっと30種以上、綺麗なガラスのお猪口で1回3種類選べます。北から順番に南へ、楽しい山形の宵は深けていきます。

学会、頑張って勉強します。

鉄分補給(雑記)

5月26日水曜日

 以前にも書きましたが、山梨県立中央病院消化器内科のカンファレンスに参加するため、水曜日の朝、県病院に行っています。

 県病院の南側は、JRの車庫(引っ込み線)です。子供の頃、柵越しに飽きずによく通ったスポットです。当時、まさか県病院で仕事をするとは思っていませんでしたが・・
 JRの観光イベントで、SLが中央線を走ることは、駅のポスターで知っていましたが、いつものように県病院に入ろうとすると、目に飛び込んできたんです。いつもと違う黒い物体が。

  D51 498 号機が、目の前にいます。カンファが始まるまで、まだ時間があります。早速、童心にかえり、柵越しに観察です。


 蒸気機関車の圧倒的な存在感と迫力に興奮です。

何やら足回りの整備中です。


 写真ではわかりにくいですが、シリンダーから蒸気が噴き出しています。やはり蒸気機関車は、罐に火を入れないとね。生きている躍動感が全く違います。


 飽きずにずっと見ていられるのですが、そろそろカンファが始まります。でも朝一番、幸先の良い一日です。今日はカンファの後、お昼まで井上内科小児科医院で外来診療、その後、東京に一旦戻って、肝臓学会出席のため新幹線で山形に向かいます。


 東京駅で発車を待つMaxやまびこ+つばさ号です。これから一路、山形を目指します。東京から大宮、宇都宮を経由して福島へ。福島でMaxやまびこを切り離し、つばさ号は板谷峠に挑みます。板谷峠はその昔、特急も補機(電気機関車)の力を借りて登る急こう配の連続する難所です。


福島を超えると美しい水田が広がります。つばさ号はこれから板谷峠に挑みます。



さすがの最新鋭新幹線つばさ号もかなりのスピードダウンです。這うように峠を登ります。

 東京から3時間で無事に山形駅に到着です。お疲れ様でした。久しぶりに鉄分が補給された一日でした。

第39回日本Interventional Radiology学会総会②(仕事)

5月21日金曜日





 第39回日本Interventional Radiology学会総会が浅草ビューホテルで開催(5月20日から22日まで)されました。2日目の報告です。

  「塞栓物質の最前線」では、国立がん研究センター病院から球状塞栓物質(Beads ビーズ)の臨床試験の一部が紹介されました。

 従来、肝動脈塞栓術はゼルフォーム(ゼラチン由来で肌理(きめ)の細かいスポンジ状の物質)を、各施設で工夫して塞栓に用いていました。ある意味、施設によってまちまちで、メスを用いて細かく切ったり、摺り鉦(すりがね)でおろしたり、当科では少量の造影剤と注射器を使って混和し微細粒子にしていますが、とにかくhomemade(自家製)なんです。

 最近ジェルパートという規格品が登場しましたが、海外で新たな球状塞栓物質(ビーズと呼びます)が開発され簡便(手を加えなくてよい)なため海外では瞬く間に普及しました。

 日本では現在臨床試験中で近い将来、臨床の場に登場すると思われます。ビーズには各種サイズが取り揃えられていて腫瘍の栄養動脈のサイズに合わせて塞栓することが出来ます。

 今回の学会では、ビーズの臨床試験で実際に治療した患者さんの血管造影画像が提示されました。従来のリピオドールとゼルフォームの組み合わせと比較して、塞栓能力も優れ、手前の血管(正常な肝動脈)へのダメージも少なさそうでした。いわば必要なところだけ塞栓出来るというイメージです。

 さらに度重なる従来の塞栓術で肝動脈が狭小化した患者さんでも腫瘍の栄養動脈だけ塞栓されていたのには驚きました。このような患者さんに、リピオドール+ゼルフォームで塞栓を試みると手前の狭小化した正常な肝動脈が詰まるだけで肝心の腫瘍栄養動脈まで届かなかったりします。

 近い将来、日本でもビーズが使えるようになり更に研究が進むと思いますが、ビーズはリピオドール+ゼルフォームに取って代わる塞栓物質になると思われました。

第39回日本Interventional Radiology学会総会①(仕事)

5月20日木曜日

第39回日本Interventional Radiology学会総会が浅草ビューホテルで開催(5月20日から22日まで)されました。





 Interventional Radiologyとは、画像診断下に治療することの総称です。

 肝臓の領域であれば、肝動脈塞栓術や動注カテーテル埋設、B-RTO(胃静脈瘤の治療)などがあります。

 今回は5月20日に開催されたシンポジウム2「緩和医療とIVR」と5月21日に開催されたシンポジウム4「塞栓物質の最前線」そして特別企画「帰ってきた言いたい放談」に参加しました。

 病棟業務や血管造影、外来診療の合間をぬっての参加でしたが、幸いツクバ・エキスプレスがあるため病院⇔学会場はスムーズでした。

 「緩和医療とIVR」では、進行がん患者さんにおいて、いかに低侵襲に症状を緩和して生活の質を維持するか?がテーマです。

 圧巻したのは局所再発乳がんの動注でした。手の付けようがない胸壁露出型再発乳がんはで標準的治療(全身化学療法)で歯が立たなければ後は自壊した癌の異臭と疼痛を抱えながら死を待つだけです。しかし鎖骨下動脈からの動注化学療法は腫瘍が縮小し症状が劇的に緩和されます。「最大の緩和は局所の緩和でしょう」という演者の発言には納得できます。

 骨転移においても局所のTAE(塞栓術)+経皮的骨形成術が症状を緩和します。その他、私たちの領域では消化管狭窄に対する上部消化管ステント(形状記憶合金を用いた拡張する網目状の管のこと)、胆管(肝臓の下水管)狭窄に対する胆管ステント、胸水や腹水に対する経皮的ドレナージなどがあります。いずれも劇的に症状が緩和されるます。

 Interventional palliative medicine まさに私が進む道がそこにあると思いました。

ミリプラ (仕事)

5月17日月曜日




 大日本住友製薬で進行肝細胞がんについて教育講演をしました。

 これは、”ミリプラ”という新しい抗癌剤が発売されたためです。

 ミリプラは、リピオドールとミリプラチン(抗癌剤)の混和薬です。リピオドール(ヨード化ケシ油脂肪酸エチルエステル)は、肝細胞がんに取り付く性質のある特殊な油です。従来からこの油にシスプラチンという抗癌剤を混ぜて肝動脈から注入して肝臓がんを治療する方法がありました。

 しかし従来のシスプラチン製剤は水溶性であったため、当然、油性のリピオドールと分離してしまう欠点がありました。

 ミリプラチン(国立がんセンター研究所で開発された)は、シスプラチンと同様の抗癌作用を持ちながら油性であることが特徴です。このためミリプラチンをリピオドールと懸濁することによって抗癌剤を腫瘍に停滞させて徐放することが出来ます。つまり腫瘍局所の抗腫瘍効果を高め、全身性の副作用を軽減することが可能となったわけです。

 今後、実際に臨床の場に登場して、効果はどうか?副作用はどうか?検討されていくと思われます。抗癌剤も進化していますので、諦めないで一緒に頑張りましょう。

第41回肝癌症例検討会に参加して(仕事)

5月15日土曜日



 第41回肝癌症例検討会が秋葉原コンベンションホールで開催されました。

 内科・外科・放射線科・病理の先生方が集まり、約6時間かけて22例の肝癌について議論しました。

 今回のテーマは”腫瘍径10cm以上の巨大肝癌の集学的治療”でした。集学的治療というのは、抗がん剤やラジオ波、塞栓術や放射線治療、外科切除などを組み合わせた治療のことです。

 私達は、東京医科歯科大学肝胆膵外科と協同で、最大径13cmをはじめ4個の多発肝細胞癌の51歳男性を呈示しました。この患者さんは当初、腫瘍が大きく広がっていたため手術できず塞栓術をやりましたがコントロールできないということで当院に紹介頂きました。幸にも肝機能は保たれていましたので、本年1月からインターフェロン併用5FU動注化学療法を3コース行い、腫瘍の縮小と一部完全壊死が得られました。残存部位を東京医科歯科大学肝胆膵外科の有井滋樹先生に切除して頂きガンは完全に除去され、現在元気に生活しています。

 もちろん全てではありませんが、工夫と努力、そして力を合わせることで、上手くいくことがあります。例え進行がんでも諦めないで挑んでいきたいと思います。

帝京大学ちば医療センター 学生実習 (仕事)

5月14日 金曜日

 帝京ちば医療センターで医学部5年生の病院実習が始まりました。

今回も5人の学生さんがローテーションしてきました。私は肝臓の実習を担当していますが、後輩へのSpecial service で国家試験にかこつけ、改めて、学ぶことの重要性を教えています。

 学生時代は気付きませんが、毎日、自由に学ぶことが、いかに幸せなことか。自分で調べ、自分で考え、問題を解決する能力を高めて欲しいと思います。きっと将来、役に立つと思います(学生さん、読んでくれているかな?)。

 金曜日の夜ですので、恒例の懇親会を行いました。今回はお忙しい中、地域医療学教授の井上和男先生も参加して頂き、学ぶことの大切さを情熱的に教えて頂きました。
 放射線科をローテーションしている学生さんや、今年医師になった医者一年生(屋根瓦式教育法です)、内科の医局員の皆さんにも参加して頂き食事会を行いました。それも“希望”という名のお店で(ラスペランザ(イタリア語で希望という意味だそうです)姉崎店)。

 分院独自の温もりのある教育を行い、明日の医療を支える素晴らしい人材を育てて行きたいと思います。懇親会に来てくれた皆さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
 

理念(雑記)

5月4日火曜日

 八王子(教養課程)校舎の訪問で、気分は、すっかり学生時代です。今日は専門課程のあった北区十条(池袋の北側)に行きました。

 卒業と同時に母校を飛び出したので19年ぶりの訪問です。確か専門課程1年目(3年生)の時、赤羽線(池袋⇔赤羽)から埼京線に なりました。3年生まで、西荻窪から通っていたので、新宿駅乗り入れ、しかも池袋から新宿駅までノンストップになって、とても喜んだことを覚えています。


埼京線十条駅前広場です。



 十条駅前広場、この右奥に十条銀座があります。十条は下町の雰囲気ムンムンで、学生や若いカップルさらにお年寄りにも優しい街です。大きなスーパーが存在出来ない(実際閉店しました)活気ある昔ながらの商店街があります。

十条銀座です。


 十条銀座を、青春時代を思い出しながら歩きます。八王子は様変わりしていましたが、十条はほとんど昔のまま残っていました。学生の頃買ったお弁当屋さんやパン屋さん、大学帰りに寄った喫茶店や皆で騒いだ居酒屋やカラオケ屋、「そうそう、そうだったよね」と昔を思い出しながら10分も歩くと帝京大学病院につきます。

 着いて驚きました。昔の病院は跡形もなく新病院がそびえ建っています。

 古ぼけた病院は知らない間に、こんな立派な病院に生まれ変わっていました。昔、帝京高校とグランドがあった敷地も病院になっていました。高校は西側に移転したようです。

 病院も連休中なのでERを除けば、外来は静かで貸切状態です。守衛さんが周ってきたらきたら、「卒業生で見学に来ました」と答えようと思っていましたが、証明するものが何もありません。守衛さんに会わないように願いながらパシャパシャと写真を撮ってきました。




 綺麗で開放的(誰も待っていないからか)な待合です。外の緑は、石神井川沿いの桜並木です。借景としては最高ですね。設計が上手で感心しました。

 さらに医学部の校舎と研究室を建築中でした。

 この2日間、久しぶりに母校を訪ねて学生時代に戻れました。ホームページを見て、”建学の精神”を再認識しました。 「努力をすべての基とし、偏見を排し 幅広い知識を身につけ 、国際的視野に立って判断ができ、 実学を通して創造力および人間味豊かな 専門性ある人材の養成を目的とする 」とあります。確かに。こう、ありたいですね。

 さらに教育理念では”自分流”を身につけさせるとあります。

 ここでいう自分流とは、生き方の哲学そのもので、自分のなすべきこと、興味あることを見つけだし、自分の生まれ持った個性を最大限生かすべく知識や技術を習得し、それを自分の力として行動する。そしてその結果については自分自身が責任をもつことである。と。

 卒業して19年経ちましたが、原点に戻り考える絶好の機会でした。”自分流”を自己の理念として今後も努力したいと思いました。

肝炎助成金 (お知らせ)

 2010年1月肝炎対策基本法が施行されました。そして4月より肝炎治療に対する医療費助成制度が始まりました。

 従来のC型慢性肝炎患者さんのインターフェロン療法の助成に加え、B型肝炎患者さんの治療費も助成されることになりました。

 対象となるのは、HBe抗原陽性、HBV-DNA陽性で核酸アナログ製剤(ゼフィックス、ヘプセラ、バラクルードなど)を服用されている方や服用を予定されている方です。

 まず対象になるか、主治医にご相談下さい。その後、お住まいの区または市町村管轄の保健所に申請して頂きます。



 必要書類のリストです。インターネットでも申請書は入手できます。東京都の方はこちらからアクセスできます。


①B型・C型ウイルス肝炎治療医療費助成申請書)

②B型・C型ウイルス肝炎治療医療費助成に係る診断書(対象治療ごとに所定の様式が異なります)

③住民票(原本。続柄及び世帯全員が記載されたもの。発行から3か月以内のもの。)
※日本国籍を有しない方は、住民票の代わりに区市町村が発行する「外国人登録原票記載事項証明書」が必要となります。

④健康保険証等の写し

⑤高齢受給者証の写し(お持ちの方のみ)

⑥住民票に記載された世帯全員分の区市町村民税の課税状況を証明するもの(満20歳未満の世帯員を除く。)。
※下記のうちから世帯員ごとにいずれかの書類が必要です。
区市町村民税課税又は非課税証明書
区市町村民税納税通知書の写し
区市町村民税決定通知書の写し
後期高齢者医療又は高齢受給者の限度額適用・標準負担額減額認定証の写し
限度額適用認定証(適用区分は「C」のものに限る。)の写し
○階層区分が自己負担額最高(2万円)となることを了承していただいた上で、課税状況を証明するものの添付を省略することもできます。


ご不明な点は、杏雲堂病院正面玄関から入って、右手の医療相談室で対応いたします。

2010年5月26日水曜日

懐かしい風景

5月3日月曜日 (雑記)
皆さん、こんにちは。いかがお過ごしですか?

 連休中はどこに行っても混んでいますよね。今回の連休は子供の予定もあり、東京で過ごすことにしました。東京の名所や美術館は、人を見に行くようなものですよね。普段、仕事で慌ただしく人と接しているので何処か静かな場所がないかなあと考えていました。
そしたら、
ありましたよ、都内に、ほんとガラガラ。

 それは大学です。母校(帝京)の教養課程は八王子校舎でした。何年ぶりでしょう?
約25年ぶりに尋ねました。
 新宿から京王電車に揺られ高幡不動駅へ。もう完全に小旅行の気分です。

 都心の雑踏を抜け多摩川を渡ると郊外の雰囲気に包まれます。しかも初夏のような五月晴れの中を、京王電車はグングン進み、僕たちをあの頃に連れて行ってくれます。

 教養課程は2年間あるのに遂に一回も行かなかった高幡不動尊、25年後に訪れました。




高幡不動の五重塔です。不動尊は当たり前ですが撮影できません。


 不動尊に長年のご無沙汰を詫びたあと、地元のケーキ屋さん PATISSERIE DU CHEF FUJIU に寄りました。当時はこんな気の利いたお店は無かったと思います。
 連休でお店はとても賑わっていました。オーナーパティシエが若いスタッフを指導しながら一生懸命に店を切り盛りしていました。カッコいい歳のとりかたで憧れを感じました(お店のホームページ、Chef & Staff のページを是非みてください)。

 店内にちょっとした食べるスペースがあったので、子供のころ大人の味を感じたサバランを頂きました。あの洋酒と甘みが浸みたスポンジに、子供心に西洋と大人への憧れを感じましたね。納得の一品でした。


多摩モノレール(空中散歩です)


 そして多摩モノレールに乗り換え大塚(帝京大前)駅へ。「有り得ない!」は、3月まで一緒に働いていた元山天佑先生の口癖でしたが正に「有り得ない!」です。当時は廃車寸前のガタピシした京王バスが山道を右に左に揺れながら・・という雰囲気でしたが、モノレールは地上15m位から山や新興住宅街を跨ぐように進みます。ほんと、空中散歩気分です。

多摩モノレールの大塚・帝京大学前駅です。



 駅を降りるとそこには想像を絶する街がありました。 

帝京大学へのアプローチ(通称ひたすらの道)


 当時の面影を探すのが苦労するぐらい変化していました。帝京坂(大学へのアプローチ)もずいぶんモダンになりました。キャンパスは思った通り、一部の部活動中の学生以外誰も居ません。ガラガラ!連休中にこんな場所があるんですね。青空と開放的なキャンパス、とても爽やかです。


 当時、第2食堂のカレーライスが180円で、僕のお昼の定番だったのですが、今の学食、外食産業とのコラボだって!時代ですね。


 帰りは大塚(京王バス停)から、バスに揺られ聖蹟桜ヶ丘駅に向かいました。様変わりした聖蹟桜ヶ丘を眺めながらのランチでノスタルジックジャーニーは終了です。皆さんはいかがお過ごしでしたか?

2010年5月3日月曜日

憲法記念日

5月3日月曜日 今日は憲法記念日です。(雑記)

 皆さん、こんにちは、お天気良いですよね。ゴールデンウイークをいかがお過ごしですか?

 今日は憲法記念日です。敗戦の後、今後日本がどうなるのか、みんなが不安と混乱の最中、この崇高な指針が示されたのです。「いいかい、俊ちゃん、政治と宗教の悪口は喧嘩になるから絶対におよしよ!」とは、亡くなった祖母が言っていた言葉です。しかし年に一度位、タブー視せず、平常心で、憲法前文を読んでみてください。以下に日本国憲法前文を掲載します(僕自身のためにも) 。



 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



新憲法公布記念祝賀都民大会の様子



 誰が悪いという前に、自分自身に責任があると僕は思います。社会が悪いと諦めず、一人ひとりが責任と自覚を持って社会をより良くするべきだと思います。
 消化器・肝臓内科とはだいぶ話が逸れますが、大事なことなので、ね。

2010年5月2日日曜日

カメラは生きがい、地上50cmの世界


5月2日日曜日 (雑記)

 僕は朝型のライフ・パターンで生活しています。特に休日は余計早くから活動します。せっかくの休日がもったいないからね。それで早朝回診のため家を出ようとしていたところ、日本テレビで「24時間テレビチャリティーリポート ”カメラは生きがい、地上50cmの世界"」という番組がたまたま流れていました。


これは僕が撮った写真



 小児麻痺で、体の自由を失った写真家 田島隆宏さんのドキュメントでした。田島さんは、生後すぐにポリオ(急性灰白髄炎」で手足の自由を失ってしまったそうです。その後、21歳の時、あごだけで操作できるバッファロー号(電動車いすのようなベッド(うつ伏せに寝て乗る))と出会い自分の意志で移動する手段を得ることが出来ました。そして自分の存在意義を求め、そして示すためにカメラを始めたそうです。手足が不自由なため、口を使いカメラを操ります。ちょうどバッファロー号から見た世界が地上50cmの世界なのです。その作品には、植物を中心とした生物の美しさ、自然の営みが写し出されています。

 田島さんが仰っています「やれないで無く、それをどうしたら出来るか、その探し方が大事なんです。」と。心に響きます。

 ポリオ(急性灰白髄炎)は、ウイルスによる感染症の一つです。ウイルスにより脊髄(背骨の中に走っている手足を動かす神経)が破壊され手足の麻痺して動かなくなる病気です。5歳以下の子供に発症することが多く、その後の自由を奪うため感染症新法指定の感染症(国家を挙げて対策を講じる)となっています。

 感染症に打ち勝つため、人類は努力してきました。

 Edward Jenner先生は当時、大流行していた天然痘と戦っていました。イギリスの田舎の開業医であった彼は、牛痘に罹った患者はその後天然痘に罹らないという農夫の言い伝えをヒントに研究を重ね1798年ワクチンを開発しました。

 Louis Pasteur先生は、病原体の毒性を弱めたものをヒトに注入することで抗体をつくらせて、その病気に罹りにくくするワクチンの理論的根拠を証明して狂犬病ワクチンなどを作成しました。

 ポリオに対しては、Albert Sabin先生が生ワクチンの開発に成功し、Jonas Salk先生が不活化ワクチンを開発しました。本邦ではワクチン接種によって、1960年6500人の発生があったポリオは1963年には100人になり2000年にWHOへ根絶宣言することが出来ました。


ポリオ不活化ワクチンの開発したJonas Salk先生

ポリオ生ワクチンの開発に成功したAlbert Sabin先生


 出来ないと諦めず、どうやれば克服できるか 僕も頑張りたいと思います。